愛犬を死なせてしまいました
大好きで大好きで大切だった宝物の愛犬を死なせてしまいました。彼女にも2匹いたんです。7歳と5歳になったばかりの子と、うちの子は9ヶ月でした。
葬儀にあたり彼女の強さに助けられ、なんとか収骨まで終わり彼女の家へ帰り翌日自宅へ戻りました。
たくさん泣いて、申し訳なさから沢山謝って、色んな人にありがとうを伝えてあげてと言われ、ありがとうを伝えながらも涙が止まりませんでした。
自宅へ戻る運転の最中、どこか冷静な自分もいて、あれだけ愛犬のいない一人ぼっちの自宅へ帰るのが怖かったのに、帰ったら不思議と涙が流れません。
死なせてしまった後悔はいつまで経っても胸の中から消えないのに、胸が苦しくて辛い、一人ぼっちの寂しさが込み上げてくる。
なのに、涙だけは流れなくて、冷静にテレビを見て、ご飯を食べ、愛犬に沢山話しかけていても流れなくなってしまいました。
そんな状態がとても嫌になりこちらに相談をさせて頂いております。
あんなに大切だったのに、ほんの一瞬の油断、気の緩みで愛犬を死なせてしまいました。
後悔だけが、残ってます。
どうしたら向き合えますか、どのように向き合えばいいですか、こんな冷静な自分が、愛犬の死に向き合えていないようですごく苦しいです。
涙も流せなくなってしまい、困惑しています。
ここに書いている文もぐちゃぐちゃで、全然整理できてませんが、お言葉をいただけたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが神様なら
もしもあなたが神様で、地球上の全ての生き物を愛していたら、毎日毎秒、地球上のどこかで愛する生き物が死んでいくことになりますね。
その場合、あなたは毎日毎日悲しみ続けるべきなのでしょうか?
それでは神様(あなた)の身が持ちません。
全ての生き物は必ず死ぬのが定めであり、突然亡くなることも珍しくないのだから。
さて、仏教では心は無常だと言われます。
心は瞬間ごとに浮かんでは消えて変化しています。
だから瞬間ごとに新しい心、新しいあなたに生まれ変わっているのです。
だから悲しみも嘆きも、永遠には続かないのです。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を唱えて、愛犬が阿弥陀様の救いにより、極楽浄土の蓮の華の中から生じる菩薩様に転生できますようにと願いましょう。
そして、南無阿弥陀仏の念仏の力であなたもいつか極楽浄土に往生できるとイメージしてみましょう。。
ただしそのときは、愛犬の方があなたより先輩の菩薩様です。