過去の誤ち
私は7年間、衛生士の仕事をしてきました。
そこの医院は夫婦でドクターをやられてるところでした。昨年スタッフが立て続けにやめたりして、衛生士の人手不足になり毎日仕事量が多くストレスが溜まっていました。
今までは衛生士同士、仕事の愚痴などを言い合ってストレス発散していましたが、「衛生士ばかり仕事量が多くて大変」などと言うと助手さんたちからしたらいい気分ではないと思い、仕事の愚痴は言わないで我慢していました。
旦那さんにも愚痴をきいてもらってましたが、反応が悪く段々と喋る気も失せました。
ドクターである奥さんにも仕事内容で不満があり、愚痴のはけ口が院長になっていました。
院長とは仲が良く、相談していくうちにスキンシップが多くなってきました。
結婚したばかりだし、ダメだとは思いつつも断れず、ぐいぐいと院長がくるのが恥ずかしながら嬉しくもありました。
そしてやってはいけない不倫という行為をしてしまいました。
休みの日はよくメールをしていましたが、それを旦那に見られてしまい不倫したという事がバレてしまいました。当然仕事はその日で辞めさせられ、院長にも慰謝料を請求し示談する形になりました。
突然辞めることになったので、スタッフの方たちに体調不良とウソをついてやめたこと、奥さんを裏切ったこと、院長からの誘いに乗ってしまって楽しんでしまったこと、全てが悔やんでも悔やんでも悔やみきれなくて苦しいです。
今回のことを許して普通に接してくれる旦那さんに対しても感謝していますが辛いです。
仕事を失ってずっと家にいますが、自己嫌悪に陥ってしまいます。
どうしたら過去の誤ちを絶ち前向きになれるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
慚愧、懺悔と仏教の学び
りぃ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
例えどのような過ち、罪を犯そうとも、重要となるのは、それをしっかりと悔い改めて、反省、慚愧、懺悔した上にて、同じ過ち、罪を繰り返さず、心からの謝罪と償い、そして、できる限りに善い行い・徳の行い(善徳行)にも励んでいくことが大切となります。
慚愧(ざんき)・・
「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすること。
「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すこと。
懺悔(さんげ)文・・
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語(口)意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
私がその(輪廻し続けての)昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。
これを機縁に、仏教の学びを少しずつでもお進めになられながら、「無明」(根本的な無知)や様々な「煩悩」にお気をつけになられて、お優しい旦那様と、仲睦まじく、どうかお幸せにお過ごし下さいませ。
川口英俊 合掌