心を病んだら人生は終わってしまうのか
はじめまして。
思い悩んでしまっていることがあり、相談させていただきます。
私の現在の状況は、プロフィールに記載しておりますので読んでいただけますと幸いです。
退職する前から転職しようと、求人に応募したり面接を受けたりしていましたが、ある日面接に行くときに体調が悪くなりなり行けず、病院の先生とカウンセラーさんから今は治療に専念するべきだということをいわれました。私自身もこの状態で働いたら、また同じようになってしまうと感じたので今は元気になることを優先することにしました。
それから数ヶ月経ちましたが、まだ先の見えない状況が続いています。私自身も焦りがあり、元気になるために楽しいこと(趣味など)をしようとしても、「働いてないくせにやっていいの?まずは働くのが先では?」と思ってしまいます。やってみたいこともありますが、それがお金になる保証もありません。考えすぎてしまい、何もできず、そして体調が悪くなる…の繰り返しです。
周りの人達は、焦らない方がいいと言ってくれています。ですが、私は今まで頑張ることや一生懸命やることが好きだったのに、今の状況を抜け殻のように感じて虚しくなってしまうんです。なのに体と心がついていかず、悲しいです。
また、元々は人と関わるのが好きで、人を喜ばせることが大好きでした。人間関係で悩み、心を病んでから、人が怖いと感じてしまいます。心を病んだ時に「あなたは人間関係に入り込みすぎる」「純粋すぎる」と言われたので、そんな私が悪かったのかなと思います。人を喜ばせるなんて馬鹿なことなのかなと感じてしまいます。自分が虚しいです。
もし心を病まなければ、こんなことにならなかったのに。先も見えないし、頑張れる気がしなくて、心を病んだら人生って終わってしまうのかなと思います。
でも、どうにか元気になりたいんです。
散文で申し訳ありません。
なにかご助言をいただけると幸いです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生は心を病んでからが本当の始まりです。
お釈迦様も人生で生き詰まり心を病みました。
そして、そこからより豊かな生き方を求めて自分を見つめてあらゆる苦しみから救われる心の在り方を見出されました。
祖師と言われる僧侶も皆そうです。
みんな人生で苦しい現実に直面してそこから発心してちゃんと結果を出されました。発心とは発菩提心。菩提心をおこすこと。菩提心というこの上ない心の向上精神をおこす。悟りや涅槃という人間のもつ本来の聡明さ・知性・安らぎの心を求めて、衆生済度の精神をおこすことです。
人を喜ばせたいという精神も菩提心です。
人間は菩提心から生まれ、菩提心で共鳴し、菩提心で救われるものです。
誰でも凹み、しくじり、すれ違い、誤解、打ちひしがれ、心病みます。
ずっと順風満帆な人生ばかりで進むわけではありません。
誰もが避けられない8つの壁があります。
生まれを選べない。
生きる苦しみ。
老い、衰え、身の病、心の病。
死亡確率100%。
え?どうしてみんな涼しい顔していられるの?
あるいは、求めるものが得られない。
嫌いな人と会うことのつらさ。
愛する人、もの、理想的な環境との別れ。
ストレスや精神の不安定。感覚過剰な故に起こる雑多な苦しみ。
人生誰もこの四苦八苦という病から避けられない。
病んで当然。
病まなきゃ鈍感。
だからこそ。
だからこそ、この病があってからこそそこから心を正しい方向、確かな方向、どんなことがあっても大丈夫な方向へ向かわせなければなりません。
それが菩提心です。自分も救う。相手も救う。世間も救う。
人生いろんな人間との出会いがあります。
色んな出来事と遭遇します。
時にはビックリするほどの人間性にも出会います。
それでもあなたはあなたですからそういう想定外な出来事・人間性との出会いの中でよりよい心の豊かさを求めて突き進んでいくよりほかにありません。
アナタはあなたの人生。
アナタの中で自分史上、この上ない自分を目指しましょう。
人とは比べられません。
生まれてきた時点で比べようがありません。
どういうわけだかわかりませんが、そのような家庭でそのような身心の特徴をもって生まれ、今日もそのような境遇を授かっています。
そんな中で、時につらいこともありましょう。ですが、人生の川、心の川の流れは停滞させることなく、新しい流れに向かって進んでゆくべきです。これをきっかけに再出発いたしましょう。
心は柔軟ですから、そこから抜け出せます。
れもん 様 相談ありがとうございます。
「頑張ることや一生懸命やることが好き」
「人と関わるのが好きで、人を喜ばせることが大好き」
は、良いことですね。否定することはないと思います。
虐めやパワハラで悩んだときも、逃げずに一生懸命で
どうしたら、上手く関われるかと悩んだのでしょう。
その時に、おそらく自分の感情に蓋をしませんでしたか?
一所懸命やらなければいけない、人を喜ばせなければならないと、
重荷を背負うほどになったので、「深くかかわり過ぎる」とまで
言われたのでしょう。(推察ですが)
その時に蓋をした感情は、「怒り・憤り」ではないですか?
虐めには怒りをもって対抗したかったし、パワハラには憤りを感じて訴えたかったはずです。
心は柔軟で感情も色々感じたはずなのに、それを表出できないと
あきらめて、自分が悪いと思い、虚しくなって、心身共に動けなくなるものです。
今、ゆったり休む時間が取れるのは良いことです。その時にまずは自分を癒すことです。安心安全を感じることをして癒やすことです。そして、自分を責めないこと。そうなったのはあなたが悪いのでも、あなたのでせいでも、あなたの責任でもありません。あなたは一生懸命頑張ってきたのだから。
虐めにあう前、パワハラにあう前の、成功体験や充実感を得たことを思い出してください。些細なことでもいいので思い出してください。その時の感動を思い出して、その時の嬉しいとか楽しいとかの喜びの感情を蘇らせてください。
心は柔軟で動くものです。癒して、安心安全で、自分を責めずに、喜びの感情を思い出せば、身体も動き出します。笑顔も出るでしょう。
久しぶりなら、鏡で笑顔の練習をしてください。それを続けてください。
そうすれば、きっと、あなたの可愛い優しい笑顔が再び他人を笑顔にさせるでしょう。希望はずっと持っていいし。辛い思いや苦労をした分、人を喜ばせることが出来るでしょう。私はそう思います。
難しい時は遠慮なくご相談ください。一礼
拝
焦りは1番の毒です
焦りは今から離れ
過去の問題が押し寄せ
そして未来への不安に光を失う
思考は同じことに囚われ
今が手につかなくなだてしまいます
大事なのはいつも今
一生懸命になれる時
人は今を生きている
何も手につかない時は大概焦ってる
私だってそうですから心配はいりません
お金にならない....
確かにね
お金になんてすぐにはならない
だけどお金より遥かに大事な事がある
私達はお金の為に生まれたわけではないし
仕事の為に生まれたわけでもない
本当に大事な事は楽しく生きる事
楽しい事には真面目になるべきです
自分が楽しいと思える事に全力を注ぐべきです
結果なんてどうでも良いです
我慢してはいけません
好きな事に一生懸命
やった事ない事に挑戦する事は
言ってみれば心にとっては攻めの治療です
思考ばかりしていると心を病む
キーは行動と思考のバランス
つまりは行動が足りないのです
例えばいじめられて居場所の無かった私は
好きでもないし
興味も然程なかったのですが
姉の習っていたストリートダンスを始めた時
何かが変わり始め
布団から出るようになりました
この星は行動の星なのです
合掌