生きる事に前向きになれない。分からない。
誰かに思いを聴いて欲しいです。
弟が自殺して数ヵ月が経過しましたが、未だに夢によく出てきます。楽しい内容もありますが、後悔が反映された内容(私の言葉で傷付ける夢、自殺を止めようと奔走するが無駄に終わる夢)も何度も見ます。
実際に家族が自殺したことで自分自身に起こる可能性も増えたように思います。私は小学生の頃から漠然と「自分は自殺で死にそうだな」と感じていたのですが、その感情が「いつか自殺を決行するんだ」と既定のイベントとして自分の未来に織り込まれたように思います。いつか実行できるように自殺方法なども調べ始めています。
発達障害から共同体で上手く立ち回れず、幼少の頃から抱いていた厭世観。正規就職したことも無く、友人もおらず、両親が亡くなったら生きていけないのでその前に自殺すべきだろうかと考え泣く夜が多いです。死にたくないけど、現状の世界情勢と未来の世界でも生きていきたくありません。人間社会のあり方に絶望します。
生きのびる為に、一緒に生きてくれる結婚相手を探しても、多くの男性が子供を希望しているさまを見て、「出産することは生を強制する残酷なこと」と考える自分には相手がいないように思います。
弟の自殺を聞いた時も、自殺したくなる理由や気持ちに共感できたし、未だにどうすれば彼がこの世界で幸せに生きていけたのか私には分かりません。生まれてこない方が楽で良いという価値観が自分の中では強いです。
上記の思いを沸々と抱えるばかりで両親には打ち明けられません。母は遠方の祖父母の介護問題で毎日気を揉んでいるし、父は弟の自殺現場で心肺蘇生を試み、未だにトラウマから悪夢を見ると言います。これ以上傷つけたくありません。
埋まらない孤独が心にあります。
良いこともあります。派遣先の先輩と話せるのが楽しくて。引きこもりで交流に飢えていた分、普通に人と世間話するだけで嬉しい。車で送ってもらっただけで感動しました。しかしそこでも自分は大人として認められず気を遣われている、薄い壁を張られているのが分かります。
どうすれば一般的な人間として生きていけるのか分かりません。発達障害で生まれた時点で自分は出生から間違っていた、淘汰される不良遺伝子なのだと思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
希望は必ず見つかります
suirenn 様
非常に悲しいです。泣きたくなります。「発達障害で生まれた時点で自分は出生から間違っていた」「淘汰される不良遺伝子」あなたがこのように思っているのは致し方ないかもしれません。でも戴いた貴重な命なんです。
発達障害は一つの個性だし、出生から間違いなんてありません。淘汰されることなんてありません。あなたは宇宙でただ一人、その個性を持って生まれてきた人なんです。
周りとペースが合わないかもしれません。
それはあなたのせいではありません。
今は理解してくれる人が少ないかもしれません
これもあなたのせいではありません。
社会とのつながりが少ないと感じるかもしれません
あなたが悪いのではありません。
今は何か希望が見つけにくい状況だと思いますし、弟様の事もあって悲嘆に暮れているようにも思います。ですので、まずは
心を落ち着ける、穏やかになる練習をしてください
心が穏やかになることを育ててください。
あなたのペースでいいので。
そして、前にもお答えしたかもしれませんが、誰かと繋がってください。
あなたと相性の良さそうな、あなたの事を理解してくれる、共感してくれる、セラピストやカウンセラーと繋がってください。
さらに、発達障害に理解のある人とメールなどで繋がってください。
あなたは独りではない。今を生きて希望を持てる心優しい人です。
希望は必ず見つかります。
そのためにも繋がりを持って続けてください。
お願いのような応答ですが、本当に願っております。
合掌礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。
是非、近くの遺族会に参加してみてください。でもたとえ共感されても、居心地が悪い場合もありますので、その時は無理に行く必要もないでしょう。
そして、宜しければ、私の方にもメールなどで繋がっていただければ、その都度ごとに応答させていただきますので、遠慮せずにご利用ください。
再度、お伝えさせていただきます。「希望は必ず見つかる」
再礼
質問者からのお礼
釋孝修 様
同じような内容で何度も、すみません。
最近は気分の落ち込みが激しく、自分でも哀しみに囚われていると感じます。お忙しいのに、心の内をぶつけたような相談に向き合ってくださりありがとうございます。
変わっている自分が好きなところもありますが、それは自分の世界にいる間だけで、社会に出ると途端に周りとのギャップが後ろめたく感じてしまいます。
けれどアドバイス通り、家族以外の繋がりも少しずつ探していきたいと思います。一度訪れたことのあるお寺でも遺族会が開かれているらしく、気になっています。
毎晩、弟の事を偲ぶと同時に同じように苦しむ人々がいる/いた事がやるせなくて、ただ祈っています。釋孝修様にもたくさんの穏やかな時がありますよう願っています。