私がお母さんでごめんなさい
この春から小学生の息子がいます。
登校しぶりがおさまらず、泣いて行きたくないと逃げたり暴れたり…
毎日担任が家まで迎えにきてくれるようになり、登校はしています。行ってしまえば、友達もたくさんできているようで、楽しかった!と帰りは笑顔です。担任をはじめ、まわりもサポートしてくれており、学校が嫌というより、私と離れることがさみしいのが理由のようです。
調べると登校しぶりは、なにかしらの不安があるからで、よりそい満たしてあげたら、気持ちも落ち着くとかいてあることが多かったので、そう努めました。膝にのり、抱きつきながら、私を叩いたり反発し続ける子に付き合うのは相当なエネルギーがいりました。
子供自身も甘えたいのか、反抗したいのかわからなくなっている印象でした。
これまでも、私は専業主婦なので、一緒に遊び、学び、時に叱り、大好き、大事だと都度伝え、私なりに全力で向かい合ってきたつもりでした。できること時間や手間を惜しんだことはありません。
それでも息子は「さみしい」と言って昨日泣きました。連日の激しい反抗にほとほと疲れはててしまい、昨日はもういっそ子供と死にたいと思ってしまいました。子供を傷つけることは絶対にできないので、それをしてしまうことはありません。ただ、とにかく疲れ果てて、終わりにしたいのです。
朝起きると泣けてきて、胸が苦しくて、耳がつまります。毎日こなすしかないし、何もかも放棄するのは、ただでさえ今の自分を許せないのにできません。仕事もしていないのにたったひとりの子すらちゃんと育てられず、いちばん苦しんでるのは息子なのに、助けてあげられず、死に逃げたいと考えるなんて。どうして私は、こんなにも頑張れない人間なのか。
昨日、担任にお母さんがいつもそばにいいること、子供がお母さんを好きすぎて離れられないことが、息子の成長の機会を奪うことを心配しているといわれました。前回の質問にもかきましたが、私の勝手で兄弟を奪い、環境の変化に苦しんでさみしいと泣く子供を無理に引離すことが私にはむずかしいです。私のせいで私が育てたせいでこんなふうにしてしまったと思うと、いいお母さんになれなくてつらいです。もっとおおらかに、深刻じゃないお母さんだったら、こんなふうに子供がなることはなかったのかもしれません。私が変わらなくてはいけないのはわかっているのですが、くるしくて動けない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私メッセージ
おじぎそう 様 相談ありがとうございます。
あなたがお子様を愛しておられて、しっかりと守って育てていこうということはとても良く解ります。
あなたのこれまでは、おそらくご両親から上手く愛情を得られなかったかもしれません。反面教師ているのかもしれませんが、子育てに頑張らなければ、愛情を注がなければ、と義務感のように思っているように、推察します。
確かに、親子の関係はしっかりとした愛情が必要です。船が必ず帰る港ようにしっかり受け止めなければいけませんが、親子関係を上下の関係に見過ぎているのではないかと思います。確かに幼いお子様は危なっかしくて手をかけないといけませんが、対等で横の関係を築いていく必要があります。
そのキーとなるが「私メッセージ」です
「私(お母さん)は、〇〇思うけど、〇〇君(ちゃん)はどうかな」と必ず言うようにしてください。自分で考えてもらう練習です。
また、報酬はない方がいいです。たとえば「おやつあげるから〇〇してね」とか、出来た時だけ褒めたり、やたら「えらいね~」って褒めるのは他人に褒められた時だけ動いてしまいます。
「お母さんは学校に行くのが〇〇君の為だと思う」「〇〇君はどう思う?」
この問いを繰り返してください。泣いても、答えを待ちましょう。
そして、学校に行くと言ったら「ありがとう。お母さん嬉しい」と素直に感謝を言いましょう。感謝と褒めることの使い分けを考えてください。
ここまで技術的なことをお話ししましたが、
あなた自身についてです。「お母さんでごめんない」と思わないでください。口には出さないでください。私からみて、あなたはよくやっていると思います。頑張り過ぎていると思います。自分を卑下することはありません。あなたは辛い環境やその時の心情をサバイブしてきたのです。あなたは大切な人です。愛情の溢れる人です。心優しい人ですから、自信をもって一人の人間を自立させるのだと思って、横の関係を築いてください。そして辛い時はどうぞ遠慮なくご相談ください。
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。字数制限でもう詳しく返信が出来ません。できればメールでも本松寺公式ラインでも繋がっていただければ、支えなると思います。変われますし、必ず子どもを愛せていると実感が持てるようになります。コンパッション(慈しみ)はあなたもお子様も育てることが出来るのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、自分が両親から得られなかったものや欲しかった愛情や関心を子供にあげたいと思っているのですが、気がつけば、親と同じ叱り方、突き放し方をしてしまっている自分に気づきます。結局のところ、自分が自分を愛せなければ、自分が愛を持っていなければ、人を慈しみ愛することなんてできないのでしょうか。愛がある人と言っていただきましたが、本当の意味で私は子供を愛せていないような気がします。子供はいつも無償の愛をくれるのに、私はそうできないことを情けなく思います。適切にまっとうに愛し、接してあげたいです。彼を私のようにはしたくありません。
私は自分が頑張れない、逃げてきたと思うのをやめられないのですが、サバイブしてきたという見方もあるのですね。
自分にそれをあてはめるのはひどく難しいです。気持ちの持ち方をそちらに向けられたら、正しい方向にいけるのかなと思いましたが、
頭でわかることに心がついていけません。
変わりたいです。
教えていただいたことを参考に横のつながりを意識してみたいと思います。