自分の考え方が世間の標準と違い過ぎる
今の世の中で当たり前とされている考え方の大部分が間違いに思えて仕方ありません。歴史を見ると社会の考え方というのは変わっていくものなので、おそらく数十年〜百年経てば、現代は中世ヨーロッパの魔女狩りと並ぶ狂った時代とされて、僕の考え方が部分的にせよ正しいとされる自信はあります。ですが、今を生きる上では生きづらくて仕方ないのです。以下に僕の思想の例を挙げます。僕はどんな心構えで生きればいいでしょうか? 毎日バカな世間に腹を立てながら生きています。
・民主主義は「自分のことは自分で決める」を子供の頃から叩き込まれてきた欧米人だからできる事で、日本には合わない。政治を考えたがらず、責任を負うぐらいなら誰かの言いなりになって我慢する方を選ぶ日本人の国民性には独裁政治の方がいい。
・僕は医療職ですが、インフォームドコンセントについても同上。素人は口を挟まず、専門家である医師の言いなりになっているのが一番間違いがない。
・女性の社会進出は当の女性すら望んでおらず、働きたくない女性が多数派。なまじ女性を社会進出させるから夫婦間でも家事育児の分担などと言い出してその負担比重が不満を招き離婚の原因になる。従って、男性は外で働き、女性は家事育児に専念すべき。
・女性は理論ではなく感情で動くのだから、社会で重要な役割に就くべきではない。
・愛などくだらない。新婚気分が醒めれば愛も醒めるから、愛を根拠に結婚するのは愚か。金目当てで(というより稼ぐ能力を評価して)結婚する方がよほど健全。
・LGBTQなどアホらしい。
・された側が嫌だと感じたらハラスメント成立なんて理不尽極まりない。
・言い聞かせてもわからない子供を殴ってしつけることは許容されるべき。
・社会の変化が起きれば今は有能とされている人も無能とされる側にいつなるかわからない。ゆえに実力主義社会では誰もが安心して暮らせない。無能でも安心して暮らせる年功序列と終身雇用の社会に戻すべき。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
概ね同意します。心配は無用でしょう。
思想の根幹として、私はあなたに共感を覚えます。
端々に違いはあるでしょうが、まあ、おおむね同じようなことを考えています。
確かに生きにくさを感じないこともありません。
しかしご安心ください。
あなたが言うように、歴史の流れの中で思想は変遷していきます。
それはなぜなのかを説明します。
いつの時代も最先端の思想は『繁殖に滅茶苦茶不利』です。
むしろ賛同する人間を絶滅させるための思想なのではないかと疑ってしまうほどです。
古代ギリシャで哲学に打ち込んだ者はその多くが独身のまま死んで遺伝子が淘汰されました。
中華で科挙に通るほど勉学に通じた血族の多くは王朝が滅びると運命を共にしてきました。
軍国主義を唱えた者たちはその多くが戦場で命を散らします。
なぜ思想が変遷するのか。
それは担い手が残らないからです。
その証拠に、その思想の中で担い手を再生産させるイスラム教やヒンドゥー教は古来の形をよりはっきりと残しています。
日本の“家”という形が圧倒的少数であったはずの武士階級で長い間存在し、今でもその残り香がある程度には存続したのもまた顕著でしょう。
これは現代の思想も同じです。
女性の社会進出は出生率を下げます。
LGBTQはそもそもの数が少なく、その間に子供を持つには現在のところコストが非常に高いです。
同意すればするほど、同意する人間の遺伝子を減らすという罠です。
ハラスメントも、長い時間をかければハラスメントに強い人間が社会の上層部に残っていく仕組みは変わらないでしょう。
この様に、本当に生物として、人間として、社会として合理に則っているならば、駆逐されることなく再生産され、未来に繋がります。
産業的にも生物的にも再生産を阻害する思想がどうなったか、社会主義を見れば明らかではないですか。
しかし、社会主義が一時期であれ隆盛し、世界の半分を支配したのも事実です。
その間、社会主義の欠陥を見抜いた人々は忸怩たる思いだったでしょう。
とどのつまり、世界とはそういうものなのです。
人間は愚かで、間違える生き物です。
もちろん、自分を含めて。
心構えとしては、人に期待しすぎないことです。
穏やかに、なぜその思想に浸っているかを観察してください。
思想に手を出すなら、そう言う達観も同時に手に入れないと、後々精神をすり減らすことになってしまいますから。
腹を立てて、収まったら実現できることを探す。
こんにちは。あなたがどんな人生を送ってきた(あるいは学習してきた)ことを契機に、そのように仰っているのかは分かりませんが、非常に多岐に渡りますね。
そういったものを、個人レベルから政治レベルまで、まずは色分けされてはいかがでしょうか・その上で実現できそうなものから手をつける。
個人レベルのこと…例えば家族観。政治が家族の「一般的な」形を規定するなんておかしい!と私は考えますが、そうであっても自らの家族については自分の価値観に合うお相手を探し、家庭を作っていけばいいのです。…あなたはこの点、「イヤ生活力で判断すべき」とおっしゃるかも知れませんが。
ただ、これにしても「今は稼げているけれど将来どうなるか分からない」ことを重視するならば、「やっぱ愛情?」という思考実験をするのも悪くないのでは?
次に集団とか社会のレベル。「女性は感情で動くので」というのがあなたの価値観ならば、あなたの任用責任が及ぶ範囲ではそれを全うすればよいと思いますよ?「社会で」を実現したいなら、あなたがその地位につけばよい。
さて、そろそろお分かりかと思いますが、「あなたが独裁者になる」というのがあなたの腹立ちを根本的におさめる方法です。しかも革命とかではなく、今の社会の手続にのっとって、その座を手に入れなければならない。
あとね。
あなたがこんな風に自由に考えたりものを言えるのは、民主主義の恩恵でもあると思いますけど、どうですか?
質問者からのお礼
>佐藤上人
お久しぶりです。また回答をいただけて嬉しいです。
釈迦に説法ではありますが、仏教では因+縁=果という鉄則がありますね。僕がここまでの思想を持つに至ったには、その原因(縁)があります。その点を、「あなたがどんな人生を送ってきた(あるいは学習してきた)ことを契機に、そのように仰っているのかは分かりませんが」と一定の理解を示してくださったことを大変うれしく思います。
ご存知の通り、僕も佐藤上人と同じ宗門を戴いていますので、自分が民主的手段で独裁者になるよりは、こんな愚かな穢土には何も期待しないという厭世的な気分になることの方がずっと多いです。
>けいじょう上人
巨視的な視点からのお話、大変ありがとうございます。まるで司馬遼太郎のエッセイを読んでいるような気持ちになりました。
そして、このような尖った意見に実名で賛意を表してくださった勇気にも敬服します。
論旨の趣き、スカッとするのではなくじわっと心に染み入って納得ができました。ありがとうございます。