既に車で轢かれていた子猫を車で踏んだ
6月30日の出来事です。
夜勤帰りの途中車を運転していたのですが、道を曲がろうとした先に子猫が倒れていたのに気づき一時停止しました。
しかしもうかなり接近した後だった為、せめてタイヤで轢かないようにと慎重に通ろうとしたのですが、ガタン!となった事から踏んでしまったと認識できました。
すぐに車を降りたかったのですが、安全に止められる場所もなく一度離れた駐車場に車を止め子猫を見つけた場所まで戻りました。
そこにはやはり子猫がおり、体自体は外傷がなかったのですが頭は潰れており……。
このままでは他の車によって更に潰れると思い、車に積んであったビニール袋を手袋代わりにして歩道へ避けたのですが…その際にまだ体が柔らかく、少し温かかったことから死んだばかりだと分かりました。
そこで思ったのは自分が踏まなければ生き絶える事はなかったのではないか、という事でした。
半泣きになりながら道路緊急ダイヤルに電話をし、引き取ってもらえるように手配しました。
やはりあの道を曲がる時、慎重に通るのではなく車を止めて様子を見ればよかったのだろうか…。
自分の運転が不甲斐ないばかりにあの子猫に留めを差してしまったのではないか。
という後悔で胸が張り裂けそうになります。
起きてしまった事ではありますが、その子猫の為に他に供養する方法が教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
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あなたの周りの命に気づいて欲しい
こんばんは。実は私も似たような経験があります。「おや?何か鳴き声がするぞ」と思いつつしばらく車を走らせていると、突然の異音。慌てて確認すると、ホイールに子猫が巻き込まれて体もバラバラでした。なんてこと!
車のディーラーに連絡し、「あ、異物除去ですね。来られます?」と思いのほかアッサリと聞かれ、「そうか、よくあることなのだな」と気付きました。
なので私は時々思い出しては乗車前に車の周りを確認し、思い出しては「あの時の猫ちゃん、ごめんなさい」と手を合わせています。が…。
私たち、誰かの命が失われていく場面に直接は立ち会わないものの、かなり多くの命をいただいていることには思いを馳せて欲しいですね。いろんな虫ケラだの植物に至るまで。「すべての命を奪うことなかれ」とまでは言いませんし、それは望むべくもないのでしょうけれど、せめて気づいた時「いただきます」「ごめんなさい」とか「安らかにね」と、去りゆく命に気持ちをかけてあげていただきたいものです。
あと、ここhasunohaには、近いケースのご相談もよく見かけます。あなたと近い経験をされた方がどうしているか、何を学んだかは、あなたの今後を考えるのに、学びとなるでしょう。
質問者からのお礼
有難いお言葉ありがとうございます。
たしかに他にも自分は命を頂いているという自覚が今回のコメントで気付く事が出来ました。
その子猫の為にも自分が今飼っている猫や犬や鳥を大切に育てていき、魚や肉を食べる際にはきちんと感謝を込めて「いただきます」という言葉を意識していきたいと思います。
罪悪感で心が潰されかけていましたが、明日にでも子猫を見つけた場所に花を添えて手を合わせに行こうと思います。
本当にありがとうございました。