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統合失調症の友人にイライラしてしまう

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おはようございます。30代の女性です。
以前、こちらで相談させて頂いた、心を病んだ友人の件で相談しにきました。

お坊様のアドバイスのおかげで、絶縁はせずに、距離を取って接しています。

友人のご家族にお話を伺った所、彼女は統合失調症で、入院歴がありました。
以前の入院の際に、彼女が暴れてしまったので、ご家族で無理矢理病院に連れて行ったとのことです。

しばらくは薬を飲んで落ち着いていましたが、服薬をやめ、具合が悪くなったのでご家族が再度病院に連れて行こうとした所で、引っ越しして逃げてしまったそうです。

現在彼女は未治療で、医療につながっていません。

私も統合失調症で、彼女と同じ病院にかかっているので、相談員さんに相談して、ご家族に病院へ相談するように伝えたのですが、ご家族も彼女に困りきっており、「もにゃちゃんが説得してくれないか」と匙を投げている状況です。

そんな折、友人からLINE電話があり、1分後に折り返しましたが通じず、「どうしたの?」と聞くと、「久しぶりに話したいと思って電話したけど、これから用事あるからじゃあね」と言われました。
心配になって、「そうなんだ。私もお話したいから、用事が終わったら電話してね」と返しましたが、連絡はありませんでした。
その翌日に電話がありましたが、私は寝ていたので、出られませんでした。

彼女には、「すれ違っちゃうから、何日の何時に電話するか決めよう」と言っているのですが、無視して、自分の都合で電話をかけてきます。
約束が守れない以前に、人の話が聞けないのです。 

正直、彼女に振り回されて、イライラが止まりません。
ストレスで鬱が再発してしまいました。

本当は、もっと優しく彼女に接したいと思うのですが、怒りがわいてきて、「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなります。

どうしたら、心穏やかに彼女に接することができるでしょうか。
ご指導よろしくお願い致します。

2023年7月12日 5:44

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しみに至った過程、経緯に同調し先立つ己の理想を求めない。

人間は自分を中心にものを考える生物です。
そして自分の経験しか知らない。自分が今までの人生の中で体験したことしか知らないものだから、狭い筒ごしに世界や相手をみる。井戸の中に座して天をみるが如し。空、世界は狭いナァと思う。だから狭い考えになり、自分の知らないものに出逢うとキャパオーバー。「もう無理」「意味不明」「どうして」「なぜ?」という自分の許容範囲オーバーなリアクションが生じる。
愛を重んじるなら、仏教の説く道理を人間学として学び、生老病死の「生の苦…人は生まれを選べないということ」を真剣に念ずるとよいでしょう。生まれ、家庭環境や親を選べない。その地域に生まれたものだから、その親の元の環境から脱せない。誰と接するかわからない。良い人たちと巡り会えれば彼女や彼らもきっとそんな風にはならなかったはず。嫌なことがあったのでしょう。嫌な人に出逢ったのでしょう。つらいことがあったのでしょう。本人にとってもキャパオーバーなことが沢山あったのでしょう。あなたのようにどこかに助けを求めたり、逃げ場や活路を見出せる恵まれた環境があったら、助けや視野を広げる方法を見出せたのかもしれません。ですが、彼女たちは生きてきた背景、過程、経緯の中で「たまたま」残念ながらそういう機会に恵まれなかった。それが「生まれを選べない苦しみ」なのです。
その生まれを選べない苦しみはお釈迦様だって同じです。悟りを開かれた後もそういう事実が継続しているからこそ、巡り合わせによっては暗殺されそうになったことすらあるわけです。この世界が因と縁の大きな万博、博覧会のようなものだからです。そんな中にあって、人類、お互いの心はどこへ向かっていけばよいか?
答えは自分と相手と格差を設定しないことです。同じこの世界の住人。同じこの世界でどういう訳か生まれを選べないまま生じた縁ある人たち。仲間。人間。同じ「ような」ことで悩んでいるから彼女も今そうなっている。あなたもわからないことに納得をすれば救われる。納得がいく。彼女たちも同じなのです。
良い働きかけ、よい作用、よいサポート、よい支援をこそ貴女も彼女も世界中の人たちも必要としているのでは?その良い共有をこそ生きた供養、施し、お供え、追善、サポート、支援というのです。私たちも既に亡き先人様たちからも支援され、布施され、支えられています。彼女にも報恩の施しをしてあげてください。

2023年7月12日 8:55
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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様

ご回答ありがとうございます。
彼女の立場に、私は立ったことがなかったと気付かされました。
視野を広げ、彼女を思いやる心を育ててゆきたいと思います。

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