考え方について
お世話になります
先日はご回答ありがとうございます。
下記のご回答をいただき自分なりに考えていきたいのですが、供養するときの心構えを教えて頂きたいです。最近は小鉢にお水を入れてお供えになるか到底わかりませんがその前でお祈りしています。謝罪と感謝、そして心安らかになれるようお祈りしていますが、そのようなやり方でいいのか不安です。
あなたも、悲しみや申し訳なさだけでなく、生き物から学んだことを、これから大事にしていきませんか。
そして、供養も、あなたがお仏壇やお墓に向かう想いと同じように、その想いの中に、生き物たちも含んで、大切に手を合わせて参りましょうね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養の心構えは、特に特別なことではありません
拝読させて頂きました。
供養する時にお寺さまによっては、準備するものは違いはあるかと思いますが、最終的には自分の気持ちを込めることが大切だと思います。
「形」よりも「心」です。その心を持って、手を合わすことができていれば大丈夫ですよ。合掌
基本的にはそれでよろしいと思います。
こんばんは。中田師のご回答を私なりに解釈すると、下記のようになります。
「生き物から学んだことを、これから大事にしていきませんか」…あなたは多くの命をお世話し、はぐくみ、そして縁あって見送ってきたのですね。その中でいろんなことを体験されたでしょう。「命は一度失われたら、もう戻らない」とか「命あるものは暖かさを感じることが多い」とか「弱ってくるとどのようになるのか」とか「命が失われると、周りのものがいかに悲しむか」とか。
あなたは、そういった知見や感情を、実生活でふと見かける状況に重ねることができるようになっているかも知れません。過去の思い出ばかりではなく、現在や未来において出会う縁に、あなたの学んだことを生かしていきましょう…そんな意味に見えます。
供養も、あなたがお仏壇やお墓に向かう想いと同じように…これは、「お仏壇やお墓におまつりされる、ご先祖様」だけでなく、あなたの人生に縁あった生き物たちに対しても、ご先祖様方同様に扱ってあげてください…ということだと思います。
ここからは私見です。
私たちはどうにも不完全な存在で、失敗や間違いを経ずには生きていかれません。つまり、失敗や間違いを含んだまま生きていてよいのです。ただ、そうした事柄から何か気づいた、学んだことがあれば、それをいまに活かしていきましょう、そのように心がけていきましょう、という態度が大切なのだと思います。
具体的な行動としてどうするか?は、それぞれの人生において行われることですからとやかく申しませんが、そういった態度や姿勢を蔑ろにしないで欲しいと思うのです。
質問者からのお礼
ご丁寧にありがとうございました。
お返事が遅れて大変申し訳ありません。
心向に着いて改めてご教授いただきありがとうございます。罪に対して自覚を持ちそれを必ず活かせるよう正しく生きていきたいです。
この度は本当にありがとうございました。