内側の僕からの反論?
個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。
故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。
とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。
以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照
ケース1
自分なんか
何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。
原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある
ケース2
環境による攻撃等
この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。
ケース3
理想への解離
このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。
ケース4
恋愛関係の悩み
よくわからん
がアイツの意見なんですがどうなんでしょう
長くてすみません
皆さまの幸福をお祈りします。 自閉症ぎみでうまく文章がかけないかもしれません。 変な事言ってたらごめんなさいm(_ _;)m
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
毎回がスタートって考えいいね。気持ちが切り変わるようだわ。
ありがとうございます。
本当に、そうね。
深く頷き、共感しています。
人は、あらゆる人やものや情報に囲まれて、影響を受けていますから。連鎖が起きることは、容易に考えられますよね。
それが一歩踏み出す力になれば、苦しみの種になることもある。
だから、自分の状態を知り、周りの影響に揺らされる前に、不安や恐怖を感じたら、離れることも必要ね。
毎回がスタートって考え、いいね。
気持ちが、切り変わっていくようだわ◎
教えてくれて、ありがとうございます。
苦しみから救われる為に
拝読させて頂きました。
あなたが自死•自殺について真摯に向き合っておられること、自らに問い正し自死•自殺の対策や解消を検証なさっておられることはとても尊いことと思います。あなたの文面を読ませて頂きとても感銘を受けると共に学ばせて頂きました。本当に有り難うございます。
私は様々な宗派の僧侶仲間と一緒に「自死•自殺に向き合う僧侶の会」で活動させて頂いております。このハスノハ僧侶の皆様もそれぞれの地域で有志で集まり活動を続けております。
基本は全ての命は尊いことです。自死念慮の方々のお手紙相談や自死遺族の方々の分かち合いの会や自死者追悼法要を実施させて頂いております。
https://bouzsanga.org/
様々な支援団体と提携しながらできる限りお話しを伺う様に心がけています。ここハスノハもその一つです。
https://lifelink.or.jp/
あなたもご指摘の通り人が自死•自殺に至るのは私達個人や社会や世界が迷い•悩み•苦しみ•貪り•怒り•愚かさにとらわれてしまいそれぞれ個人や社会や世界が追い込まれてしまっていることに原因があります。
私達の心にある悪意や悪言や悪行により自らや他者をおとしめ傷つけ存在も否定してしまう様な悪業が苦しみの原因です。
その苦しみを分かち合いお互いを尊重し合い認め合い、思いやる心があればその苦しみを解消していくことができるのです。
しかし私達はどうしても我欲にとらわれて真実や真理から目を逸らし離れてしまいます。
真実•真理とは仏教の教えである諸行無常です。
自分も社会も世界も全てが常に移り変わり決して止まることありません、そこに決して留まりとらわれることもなく、あるがままに受け入れていくこと、自らを認め他者を認め与えられたことを共に感謝し分かち合っていくこと、そして心を清らかに憂いなく円満であることです。
私自身は本当に愚かな小さなはかない存在です。
ですが仏教•仏様の真理の教えのもとに、仏様の救いのもとに少しでも様々な迷い•苦しみの中におられる方々に仏様の教えを通して少しでも苦しみが和らぎ解消なさっていかれます様にと願いますし、私もできる限り微力ながら活動して参りたいと思っております。
あなたがこれからも考察を続けていかれ、ものごとのあり様を見極めていかれます様に切に祈っております。至心合掌
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、中田 三恵様解答ありがとうございます!
中田 三恵様はご存知かもしれませんが実は、最近まで苦しくてここまで生きたら死ぬと予定をたてたつもりでした。
今までもずっと苦しくてそれでも他の人格?がなんとか意見をくれてなんとか生きてこれました。
だけど、今回はどんな意見も全部僕の耳には聞こえないくらい苦しかったんです。
だから、根掘り葉掘り聞きました。
じゃあどうしたらいいんだと
それで自分なりに納得するように文章に落しこみました。
まだ、辛いことは残ってて自殺企図は消えてませんし自分の中で引っかかる所は沢山ありますが今回いろいろ考えて、諭されて?死ぬ予定は見送ることにしました。
あらためて、あたたかいお言葉ありがとうございました!