叔母について
こんにちは。何年か前に母の妹が亡くなりました。何年も連絡をしていなかったので驚きと動揺が走りました。従兄弟からの連絡でした。おばさんが亡くなり遺産があるからとそれからバタバタと遺産の手続きがありましたが私はその時叔母に借金がありました。本来なら遺産からその額を他の方に渡さなければならないのでしょうが生活苦もあり返済したと言ってしまいました。本当に申し訳ない気持ちです。今うちの中で良くない事やお金の問題があり叔母が怒っているのかと思い本当に申し訳ない気持ちです
お墓にも行きました。やはり怒っているのでしょうか。毎日毎日手を合わせごめんなさいと言っています。アドバイスがありましたらよろしくお願いします
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見栄を張らない心がけをしていくこと
拝読させていただきました。
叔母さまのご逝去心よりお悔やみ申し上げます。
親族限らず、お金を貸す立場のいる人にも覚悟をもつことが求められます。
「貸したお金は戻ってこないものと思え」とよく耳にする言葉です。
叔母さまは るるさん に対し、どのような心持ちでお金を貸したかは分かりませんが、少なくとも"上げたもの"としていることと存じます。
人生には苦難はつきものであり、それが病気や事故限らず、生活苦など金銭にまつわることは大半を占めるものです。
その中で、人はひとりでは生きていくことができず、誰かしらの直接的に関わらずとも助けられ生きています。
「困っている人が目の前にいるなら助けて上げなさい。」と幼少期に誰かしらに教わるものでもあります。
人はいざ相談事を受けたときに回避する人も多々存在します。それは「面倒」「そこまで介入したくない」「言ってるだけで、友達と思っていなかった」など、現実は冷たいこともしばしばです。
そんなときに叔母さんは、るるさんに貸した思いを今、るるさんは感謝と報恩を痛感しているのです。
叔母さんにお金を返すということに囚われるのでなく、叔母さんから「感謝と温もり」を教わったのではないでしょうか?
私たちの命は先祖からつながるバトンです。上から教わったことを後世につないでいくことが、叔母さんの借金を返済していくことにつながります。
質問に、「返済したと言ってしまいました。」生活苦がある中では、そのような返答もしかねないときもあるでしょう。
それは、『生活苦により利己的になっていたことが原因』であり、損得で判断したことが現在の苦悩に応報しているのです。
これからは正しいか正しくないかで判断できる人を目指す気持ちを持てば、返済への気持ちが減少していきます。
反省や懺悔する心を持てた るるさんは もう大丈夫です。
叔母さんが怒っているなど、これっぽっちもありません。るるさんが良くなるようにしか願っていないことを確信してお伝えしておきます。
仏さまは、大慈大悲の存在なのです。
合掌
質問者からのお礼
法源様
お忙しい中ありがとうございます
少し胸がホッとしました。
毎日毎日仏壇に手を合わせ感謝を伝え続けて行きます。ありがとうございます