毎年立て続けに親戚が亡くなります。
夫と結婚してから毎年立て続けに家族が亡くなります。
1年目は私の母方の祖父で喪が明けて直ぐの2年目に私の父方の祖父が亡くなりました。
3年目は、夫の母方の曽祖父が亡くなり、その4ヶ月後の先月末に夫の父がなくなりました。
今日お通夜です。
夫の父は離婚していましたが、息子である夫との関係は良好で2人で呑みに行ったり電話したりしていました。
夫は思い出は無いとは言いつつも、精神的に疲れが出ているようでご飯もあまり食べられないようです。
また、夫の父は亡くなり方が普通とは違ったようで、お顔すら見ることが出来ません。
今までは病死や老衰でしたので、顔を見て故人を偲ぶことが出来ましたが、それも叶いません。
夫の父が亡くなった事がショックです。
1度しか会うことは出来ませんでしたが、電話でも私のことを気にかけてくれる方でした。
そして、何故毎年立て続けに家族や親戚が亡くなるのか。
不思議でもありますし、心が疲れてしまいます。
また、毎年立て続けに亡くなることで何か悪いことがあるのか心配になります。
私達は、何か悪いものを持って行ってくれているのでは?と話していますが、皆さんのお考えを伺いたいです。
よろしくお願いします。
追記
義父は孤独死だった様です。
時期が時期ですから、発見された時には……という状態だった様です。
司法解剖もしたものの死因も分からずじまいでした。
夫の事が心配です。また、私の直系の家族では無いにしろ、感情移入してしまったのかとても気持ちがしんどいです。
義父が苦しまずに逝けていたらいいのですが……
亡くなった方ですが、義父が心配です。
合わせて回答して頂ければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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諸行無常
仏教には諸行無常と言う「真理」を説く言葉があります。文字通り全ての物事は時と共に移り変わり常に同じでは無いと言う意味です。私たちは日常の生活をしているルーティンもあり明日も朝起きてご飯を食べ仕事に行き明後日も、となりますから今の生活はずっと続くものと錯覚をしてしまいます。しかし、私たちは毎日1日ずつ歳をとっている訳です。今日は昨日より1日歳をとった自分が居る訳です。そして人間やあらゆる生き物は生老病死の道を辿ります。
毎年あなたの親族に不幸が起こるのは誰のせいでもありません。そう言う巡り合わせなのです。そして、私たちは人間のいのちの尊さや儚さを感じることで自分の人生もしかりと覚えて毎日を大切に生きるのです。人生は一度しかありません。仮に生まれ変わると仮定しても前世の記憶は無いのですから、その人の人生は今生一回限りです。でも限りある人生だから尊いのです。
確かに、近しい方の死は悲しみと苦しみを伴います。しかし、仏典には「生まれる時には当人が泣き世界は喜び祝い、死ぬ時には世界が泣き当人は喜びを得る」とあります。これば亡くなった方はお浄土と言う全ての悩み苦しみから解き放たれた世界に生まれると言う教えてからくるものです。
従って、あなたの義父さまを含めた全てのご親戚はお浄土と言う安寧の世界に旅立たれています。亡くなり方は問題ではありません。ですからあなたはどうぞ全ての亡くなった方をお偲びして心から手を合わせてください。合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
先程、葬儀や火葬がおわりました。
「生まれる時には当人が泣き世界は喜び祝い、死ぬ時には世界が泣き当人は喜びを得る」
このお言葉がとても胸に刺さり、義父や祖父がもう何も苦しむことの無い世界へ旅立った事が遺族としても一種の門出なのかもしれないと思いました。
亡くなり方では無いのですね。
新しい旅立ちなのですね。
心が疲れてしまっていましたが、少し軽くなりました。
ありがとうございました。