死んではいけない理由を教えてください
駄文につき失礼致します。
私は大学生です。
様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。
薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。
投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。
死んでしまっては選択肢がなくなる。
生きているうちは選択肢が無数にある。
生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。
これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。
言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。
私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。
生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか?
確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。
しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。
どなたかお力添え頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命や生きる尊さ
拝読させて頂きました。
あなたのお考えを読ませて頂きましたあなたがおっしゃる通り生きている中で様々な選択肢があります。その選択肢を自ら検討しながら試行錯誤して充分検討して、様々な方々の意見や事例を参考にして、自ら選択することができるのは生きているからですよね。
亡くなってしまった後では検討することも参考にすることも試験的に実施することもできませんからね。ですから生きていく中であなた自身の生きる道や自らの生き方をしていくことはとても有効なことです。
或いは私達はいつか必ず亡くなることがわかっております。だからこそどう生きていくのか、或いはどう命を全うしていくのが自分としては善いのかを検討して選択することもできるのです。
また亡くなっていくにあたり自分は何を残していくのか、大切な人に何を伝えていくことができるのかも決めて伝えていくことができるのです。
私達は必ず病いにかかりますし、老いていきます、そして亡くなっていきます。その自らの姿や生き様を大切な方々に伝えていくことがそれぞれの生きて意味にもつながってくると私は思います。
私の母は沢山の病いを抱えて生きていきました、その様な中で母は私達に様々な生きる意味や目標や生き様を私達子どもに残していってくれました。
母本人にとっては大変辛かったかもしれませんし、毎日苦しみながらいつも死を意識して生きてきたと思います。
それでも母はしっかりと与えられた命を全うしていきました。
いかがでしょうか?おそらく権利や自由以前の生きることの大切さや命の尊さがあると思います。
あなたがこれから自らの生きることや命に誠実にお向き合いなさり、与えられた時間や人生をあなたらしく豊かに幸せに生き抜いていかれます様に、そして与えられた天寿を全うなさっていかれます様に切に祈っております。至心合掌
どうせ死ぬまでは生きているのだから
>死んでしまっては選択肢がなくなる。
生きているうちは選択肢が無数にある。
生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。
よく考えてあると思います。合理的だと思います。仏教的に少し付け加えさせてください。
人間に生まれることが前世の相当な善業の結果で、次にいつまた人間に生まれられるか分からないほどなので、死ぬのはもったいない、と仏教では見ています。死ぬまでは頑張って生きていたほうが良い、と考えます。
人間で死んで次に何かの善業の結果で天人にでも生まれたらまだラッキーですが、餓鬼、畜生、地獄では、人間のほうがましだったなあと感じるだろうと思います。だからギリギリまで人間で粘ったほうが得だと仏教では見ています。
そして、生きている間の選択肢は、なんでもいいからとにかく心を清めて清らかな心で何か言ったり行ったりして功徳を積めばよい、ということになっています。来世でも良い生まれになる可能性が高まり、今世でも周りに良い影響を与えます。
自死であれ他死?であれ自然死であれ、仏教では区別をつけません。死ぬまでにどれほど心を清めたか、清い心で言動をしてきたか、つまり徳を積んで周りにも良い影響を与えたか、だけが仏教の関心事です。仏教で人間として生きる意義はそれだと見ています。
というわけで、選択肢がまったくなくなったら自ら死んでも死を待っても良いのですが、死ぬその瞬間まで怒りや欲を離れて慈悲の心でいられたら、それで勝ちです。周りにはわかりにくいかもしれませんが、死ぬその時まで、そして死後があるとしたら死んでから後も、勝ったぞ、と自分で分かると思います。
詳しくはスマナサーラ長老のyoutubeなどをご覧ください。
幸せかどうか
自殺者の9割は「うつ」等が原因で死にたくなって死んだ人だと言われます。
裏を返せば、メンタルヘルス不調を改善できれば死にたくなくなり、再び元気になれる可能性があったということでしょう。
治療して健康になって幸せになれる可能性があるのに、治療をあきらめて(治療できることさえ知らない人も含め)死ぬのは、第三者が見ても「もったいない」でしょう。
もちろん、家族等は悲しむし。
また、その人が生まれてから、社会は税金を投入して教育やワクチン接種等の投資をしています。
長生きして税金を納めてくれた方が社会には利益になります。
市町村には、人口に応じて国から交付金が入ってきます。
ですから、仮にニートであっても、住民登録してくれているだけで市町村の財政に貢献できている場合もあります。
また、自殺したら警察も現場検証しなきゃならないし、死に方によっては遺体の後始末にも手間やコストがかかります。
自殺されたらけっこう面倒くさいから、普通に死ぬまで生きてもらった方が周囲の人にとっては楽な場合があります。
それでも、いずれ私たちは死にますよね。
いつ死んでも極楽浄土に往生できるように、極楽浄土を造った阿弥陀仏に対して往生させてくださいと願いながら、
南無阿弥陀仏
と念仏を称(とな)える習慣をつけましょう。
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
これであなたも、いつ死んでも、来世は極楽浄土の菩薩様になれますので、安心して、死ぬまで生きましょう。