母の死から立ち直れない
いつもありがとうございます。
先日、母が闘病の末亡くなりました。乳癌でした。享年67歳でした。
母はかなりの病院嫌いで、乳房が腫れ始めても頑なに診てもらおうとしない人でした。結果、癌の型が悪かったのもあって、治すということができないところまでいってしまっていました。
段々できることが減っていって、階段が登れなくなって、歩けなくなって、寝返りもできなくなって、喋ることもできなくなって、ゆっくり呼吸が止まっていくのを家族一同で介護しながら見届けました。後悔が無いと言えば嘘ですが、やれることはやり切ったと思っています。
お葬式あたりではバタバタしていて、涙は出てもなんとなくふわふわした落ち着かない気持ちでいたのですが、数週間経った頃から体調不良を繰り返すようになってしまいました。
頭痛薬を処方されたら母が飲んでいたものと同じ薬で涙が出たり、銭湯で話しかけてくれた人が母と同じくらいの年頃で涙が出たり、そんなことの繰り返しです。
医師には「段々とそういう症状も薄れていくから大丈夫」と言われましたが、現状家族にも職場にも迷惑をかけてばかりで申し訳ないです。一刻も早く立ち直れないといけない気がしています。母も私が不甲斐なくて心配していると思います。
四十九日が過ぎたら落ち着いてくるものでしょうか?それとも私がもっと努力すべきでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悲しみと共に歩んで行ければ。
こんにちは。亀山純史と申します。
まず初めに、お母さまを亡くされたましたことに対して、ここに深く哀悼の意を表します。
愛する方を亡くしたことへの悲しみは、死というその現実に最初に直面した時よりも、時間が少し経ち、その現実を客観的に捉えることが出来るようになったあたりから、私たちの心を覆いつくしていくと思います。
あなたが今抱いている悲しみは、自らの意思で作り上げた感情ではありませんよね。自然とあふれ出てきている感情です。そうであれば、無理にその感情を押し殺す必要はないのです。勿論、その悲しみに埋もれてしまってはいけませんが。その悲しみと共に歩ん行ければと思っています。
あなたは、お母さまの死を悲しまないほどに、楽しい気持ちになりたいわけではないはずです。何年経っても、悲しいときには涙を流していいのです。そのような故人への想いは、故人にとって嬉しいことではないでしょうか。しかし一方、ただ、「悲しい」「寂しい」だけでは、故人もあなたに対して、「悲しい」「寂しい」と思うことでしょう。
お医者様が仰った「だんだんとそういう症状も薄れていくから大丈夫」というお言葉は、「日薬(ひぐすり)」または「日にち薬」と言うものです。時間が薬として効く、ということです。何年経っても、思い出すたびに涙する人もいますが、そのような人も、この日薬(日にち薬)で、日々の生活を精一杯生きていると思うのです。
人の死に伴う悲しみの緩和は、性急になるものではありませんし、あってはならないことだと思います。時間をかけることで、少しずつ癒されてくることが大切なのです。亡き人と共に、少しずつ。もしも、1年そこらで、亡き人への悲しみが消えてしまったならば、亡き人は、さぞかし悲しまれることでしょう。
以上が私からの回答です。少しでもあなたの悲しみを和らげるお手伝いになれば幸いです。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます
多分私はかなり焦っていたのだと思います
自分の悲しい気持ちとゆっくり向き合っていこうと思います。ありがとうございました。