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亡くなった父への悲しみと後悔

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先日、父が急死しました。
1年前に肺癌を患い、手術で取り除いたものの、今年の初めに肺癌が再発しました。

3月から抗癌剤と免疫療法を受けていたのですが、抗癌剤と免疫療法のせいなのか介護が必要な状態まで体が動かなくなってしまい、急遽入院し、免疫療法を止めましたが、今度は肝臓の数値が悪くなってしまい数値回復の治療を受けていましたが、血便、血尿が続き血圧も低い日もありましたが亡くなるような状態ではなかったのに、先日、夜中に容態が急変して帰らぬ人になってしまいました。

こんな早くに別れが来るとは思ってなかったので、父を亡くした喪失感、看取れなかったこと、もっと連絡を取ったり会いに行けば良かったこと、治療も辛かっただろうからもっとしっかり支えてあげれば良かったと後悔ばかりで涙が止まりません。

亡くなった後、実家で父が生前書いていた
、定年後(今年の6月で定年退職でした。)やりたいことリストや母や私、家族に宛てた手紙も見つかり、きっとまだ逝きたくなかったんだろうなと感じたり、でも闘病も辛かったこと、治療が不安で怖ったことも書いてあったので、楽になりたかったのかなとも思ったり、娘として気がついてあげれなかった事、治療を止めさせてあげれば良かったのですが、止めたことにより転移、癌が大きくなってしてしまうことが怖くて言えませんでした。
長生きして欲しいと思い、自分のことしか考えてなかったので冷たい娘だなと自分を責めてしまいます。

父のことだからこんな姿見たら、心配で離れられないなと思ってしまうので、心配させないようにと思っているのですが、中々心と体がついていけません。
気持ちの整理や父を送り出すことどのような心持ちで過ごしたら良いのでしょうか。

2023年8月16日 21:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私の話になりますが・・・

お話を拝見して、7年前に亡くなった父のことを思い出しました。母親が30年前に亡くなり、その3年後に父は再婚、その相手と合わなかった為、家を出ましたが、世間に負け、経済的にも行き詰まってしまった為、実家の寺に戻りました。父親は少し人が良すぎた為か、定年間近に急に寺の住職になった為か、お寺の経済状況はかなり厳しいものでした。私は、何とか立て直しをと思い、やれることはやってきたつもりですが、その日々の中で、父親に冷たく当たったこと、暴言を吐いたことは数知れません。自分が自分こそが寺を立て直してやるんだという意気込みが、父の気持ち、やり方を否定することに対する罪悪感を覆ってしまっていたようにも思います。
亡くなったと聞いたときとっさに頭に浮かんだことも、その日の仕事のことでした。
けど、初七日法要はお寺で私が執行することになっていましたので、お骨をお寺に持ち帰り、初七日の法要を始めようと本尊の前に置いたところで記憶が途切れました。昼前には帰ってきたはずなのに、気付いた時には外は真っ暗になっていました。その時に、私の中にあった父の大きさや父への思いのようなものを感じました。
長くなってすみません。
こうしてあげた方が良かったという思い。その思いがあるということは、お父様を思われるお気持ちがある証拠だと思います。長生きをしてほしいという思いは決してご自分のことだけを考えた思いではないと思います。お父様のいのちを大切に考えることは当然のことであり、尊いことではないでしょうか。
父が亡くなった時、僧侶になって約15年、僧侶として葬儀の執行もさせて頂いていました。しかしながら、父が亡くなったことを受け入れるまで時間がかかりました。自分にとって大事な人を亡くして不安定になるのは当たり前ではないでしょうか。早く立ち直ろう、冷静になろうとする必要はないと思います。
お父様とのことを振り返り、悲しみ、その悲しむご自分を受け入れていく。本当の思いと対面していく。そのことで、お父様への本当のお気持ち、感謝や大切な思いにお気付きになられることだと思います。
お父様もそのように望まれているのではないでしょうか。

2023年8月16日 23:10
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有り難し
おきもち

個別相談可能
大阪市西成区の金剛寺に生まれる 高校在学時から声優養成所へ 卒業後も、バイトしながら 声優養成所に通う。 父の再婚により、家に居づらくなった等 色々と要因が重なり、 20歳で見切りを付け就職、 大阪に1年、その後東京へ。 精神的にも経済的にも限界を迎えて 25の時に実家の寺を継ぐ準備として 宗派の専門学校に入学。 卒業後真宗大谷派僧侶となる。 父からは贅沢をしなければ 食べていけると聞いていたが、 その現在の認識、将来の見通しが あまりにも甘いことを思い知らされる。 当時全くなくなっていた提携葬儀社を 作るために葬儀社訪問をしたり、 同宗派のお寺との付き合いを広げたり、 そのような中、住職に就任。 多少マシにはなってはきたが、 飽和状態の市内では それ以上の発展は見えてこない。 そこで、10年ほど前に河内長野市に 移ってまいりました。 それから10年。恥ずかしながら  考えていたようにはいかず、 経済的にも厳しい時期もあり、 借り入れもしてしまいました。 しかしながら、最近になりやっと、 借り入れもなくなり、 私一人ではございますが、 食べていけるようになりました。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
また温かいお言葉もありがとうございます。
父が安心できるようにと、早く立ち直らなければと思いもありましたが、中々気持ちが追いつかず、生前の父の写真ややり取りを見ては涙を流す日々が多々あります。
父が居てくれたらと思うことも。。
今は気持ちに素直になって泣きたい時は父を想いながら泣きたいと思います。
ここまで私を立派に育ててくれたことに感謝をしつつ、、
そして、いつか父との思い出を楽しく話せるようになれたらと思います。

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