伴奏をする子への嫉妬で苦しいです
学校のイベントに合唱コンクールというものがあり、クラスごとに曲を決めて3ヶ月程クラスで合唱の練習をしてからコンクールを行うというイベントなのですが、伴奏者に立候補して落ちてしまいました。
1度相手の子は話し合いの埒が明かなかったために譲ろかと言ってくれたのに、その時はまだオーディションをする前だったこともあり、それでは相手の子も納得出来ないだろうと思って遠慮してしまいました。
今は落ちた後だからこう思うのだとわかっているのですが、その時に遠慮してしまった自分が許せません。
去年も立候補して落ちていて、十分辛い思いをしたはずなのに、伴奏ができなくて歌うことになった時も嫉妬で苦しくてたまらなかったはずなのに、またそれを感じなければならないかと思うと憂鬱な気持ちと不安に押し潰されそうです。
あそこで遠慮していなければ今頃幸せな気分でいられたのではないかと考えると後悔が押し寄せてきて胸が締め付けられてしまい、受験生だというのに勉強にも集中できません。
挙句の果てにはその相手の子に伴奏を譲って貰えないかと頼むところまで行ってしまいました。
しかもその子は私のこのわがままなお願いに真剣に迷ってくれているように見えました。
でもやっぱりしばらく答えを貰えていないし、それなのにそこに今も期待してしまっています。
自分が大嫌いです。
肝心なところで変に正義感をもって譲って貰えそうになったのに遠慮し、正直オーディションで受かるだろうと思ってたのに見事に落ちました。
それで苦しくなって最終的に相手の子も困らせてもうどうしようもない人間です。
毎日毎日この結果に対して自分を納得させようと葛藤しています。
この気持ちをどう処理すればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ドラマの登場人物だったら
オーディションに落ちたのに伴奏を譲ってもらったら、あなたは他の人からバカにされる可能性があります。
たとえば、ドラマや漫画の登場人物で、あなたのようなキャラが出てきたら、あなたはどう思うでしょうか。
それを冷静に考えてみましょう。
正々堂々と闘って負けたのだから伴奏はあきらめて、与えられた役割(合唱)で光り輝く活躍をしましょう。
仮に、伴奏じゃないから嫌だ、合唱なんてやりたくなかったからといじけて合唱を不真面目にするようなら、あなたは漫画の悪役ザコキャラと同レベルに落ちぶれてしまいます。
主人公じゃなくてもいいので、読者・視聴者から尊敬されるキャラ、地味に格好いい登場人物を目指しましょう。