疲れました。
母が6月に亡くなりました。母の希望で近い人だけの家族葬でした。
初盆まで無事に終わりましたが、その間に色々な行事で顔を合わせることが多かったせいか、身近な周りの人たちの人間関係で、誰と誰が仲が良いのかわかるようになり、そして私はどの輪の中に入っていないことに気が付きました。
それなりに、つながってると思ってた甥や姪も遠くに感じ淋しくなりました。
一人が嫌いなわけではないですが、ひとりぼっちはやっぱり淋しいです。
親は小さい時に離婚して幸せな家庭ではなかったし、私には子供もいません。
夫婦仲も良いとは言えません。
自分では一生懸命生きてきたつもりなのに、これが今の現実なんです。
どこで何を間違えたのか、生まれ持った性格や、生き方が悪いのか…
病気ばかりの人生でした。それでも本当に一生懸命笑って生きてきました。
でも疲れました。
これから歳を重ねていっても、本音で話せる人もなく、なにを楽しみに生きるのか全くわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
独生独死独去独来
お母様を六月に亡くされたとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。
タイトルはお釈迦さまの言葉です。どんなに交友関係が広い人も、金持ちも貧乏も1人で生まれて死ぬ時も1人です。親兄弟も一緒に死んではくれません。
そして私達はなんの根拠もなく今日が無事なら明日も無事と考えて生きています。
あなたは、お母様を亡くした喪失感から特にナーバスになっているように思います。
あなたは「病気ばかりの人生でした。それでも本当に一生懸命笑って生きてきました」とお書きです。とても素晴らしいことだと思います。
仏教では「いのち」は何にも代えることができない尊いものだと教えています。あなたは存在するだけで尊いのです。
「なにを楽しみに生きるのか」との問いですが、何か課題をお考えになってみたらいかがでしょう。例えば、亡くなったお母様をお偲びしてお母様のために出来ることを考える。月参りをしてお母様とお話をする。100箇日忌をどうするか考える。別に親戚を巻き込んで考えなくても良いのです。あなたがお母様と向き合ってみることが大切だと思います。
お墓参りというのは、心がとても落ち着く行為です。何故なら仏様の世界と私たちは決して一方通行ではありません。
あなたがお母様にお参りすると、亡き人の為に手を合わせたはずなのにとてもホッとするとか心が落ち着いたと言うご経験はありませんか。仏様を供養すると仏様は私たちにお慈悲の心を手向けて下さいます。これを「回向えこう」と言います。この回向の功徳によってあなたは安らかなお気持ちを得られるのです。
あなたがお元気で前向きに笑って暮らせるようにご本尊にお祈り申し上げます。合掌
質問者からのお礼
有り難いお言葉を、ありがとうございました。
読んでいて涙が止まらなくなりました。
そして、少し心が落ち着きました。
お墓参りに行って、これまで以上に心をこめて手を合わせてみようと思います。
優しいお言葉に心より感謝致します。