病気になって死を考えるようになった
現在,一人暮らしをしている中年男性です。
先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。
知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。
闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。
また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。
そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。
ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。
だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。
自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。
自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。
病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。
誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。
最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。
そういった中で,このサイトに行き当たりました。
取り留めない文章になりました。
回答をいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの思いわかる様に感じます
拝読させて頂きました。
あなたが病いになり独り暮らしでとても不安や心配なさっておられることを読ませて頂きました。あなたがこれからの人生や自分の生き方について思い悩まれるお気持ちわかる様に感じます。あなたのその不安な思いを心よりお察しします。
あなたが生きる意味や目的はあるのです。あなたが生きること自体先ず尊いのです。
今お独りで病を抱えながら生きるのは確かに不安ばかりがつのるでしょう。
どうか身近な地域の方々とつながりながらあなた自身の生きる道を歩んで下さい。あなたのお住いの地元の町内会や民生委員や社会福祉ボランティアの方々ともお話なさりながら少しずつ交流していきましょう。そしてあなたが抱えている心配ごとや困りごとやご病気についても積極的にご相談なさってみたりお話をなさってみましょう。日常生活で大変なことや辛いことがあったら積極的に相談なさって身近な方々に手伝ってもらったり、福祉介護サービスの方々にもサポートしてもらいましょう。
様々な人達と交流なさりお話なさっていく中であなたの心の中にある不安や心配ごとも少しずつ減っていくでしょうし、毎日生きる中でも楽しいことや嬉しいことも増えていくでしょう。
或いはあなたの心の中で抱えている思いをここでもお話なさってみて下さい。そして私達とも分かち合っていきましょう。又は地域の人達や相談員の方々にもお話なさってあなたの心の中から少しずつ出していきましょう。
あなたは決して独りではありません、多くの方々とつながりを持ちながらこれからも生きていくことができます。あなたに与えられた命や人生を沢山の人達とのご縁の中で分かち合いながら生きていくことできるのです。
あなたがこれからの毎日を多くの人達とご縁を結びながら健やかにおおらかに生き抜いていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。
地域包括支援センターにご相談を
介護サービスを利用されますことをお勧め申し上げます。
ケアマネージャー、あるいは地域包括支援センターへとご相談なさられて下さいませ。
誠に月並みな表現で申し訳ないことでございますが、生まれてきたことへの感謝(両親等)、これまで生きてきたことへの感謝(命を繋いできてくれたことへの感謝)で、その恩返しのためとして最期まで頑張って生きるのも。またそれが誰かのためになったり、役に立ったりとすることもあるかと存じます。
医師や看護師や介護士など、他の社会の人々の仕事を成り立たせているということでも、十分に役に立つことにもなるのであります。
合掌