諦めること
発達障害から依存に走りやすく、アルコール、浪費、スマホ、ポルノなど各種中毒などドーパミンなどの脳内物質に踊らされ生きているようにさえ思えてきます。
寝ることが嫌いでそれら依存に頼りながら刺激の強いかつ役立たずな情報、映像ばかり見て睡眠不足になっておりメンタルにも良からな影響はあると思います。
これはまずいと思いつつも切り上げることができないで苦しんでいます。
仕事の間は自分を殺しているからパートタイムの服役囚みたいで、なけなしの成果があっても建前では社会に意義あると言える仕事も組織自体の達成にも子供の積み木遊びくらいにしか思えてない、だからあとは寝るだけとなると虚しくなるのです。とはいえ、それで意義ある時間を過ごすどころか依存症で浪費して、寝るのが死ぬことを暗示するからなのか忌避しているのか、なかなか横にならずだらだらと過ごしてます。
もっと足るを知るべきだと長く思いましたがここにきて、足るを知るという言葉は違うなと思い始めて、満たされることなどというのはあり得ない幻想なのだから足るを諦める、とした方がいいのかなと割り切り、満たされない思いがあったら、そんなものなんだと突き放して無理に満たそうとしないように心がけたいです。
ここまでの話と区別した方がいいかどうかなのですが婚活にしても目標達成を諦めるというか突き放した態度で満たされずとも受け入れた方がいいのかとも考えつつ、その反面やっぱりそんなメンタリティではいよいよさらに縁遠くなるからそんな諦観はかえって生涯通じて寂しい結果になるんじゃないかとも思う次第です。
万人が目指すべき幸福の形みたいに家庭を持つことが素晴らしいと刷り込まれていた部分は洗脳を解きつつあったかに思うこともありましたがどうにもうまくいかないです。
恋愛や結婚を割り切れたかなと思った時期もありましたが上手くいかない叶わない相手に対する思いを募らせ苦しむことになってよくわからない自分の心を持て余しています。
結婚や恋愛をしてパートナーや、あるいは子供や、大切な人を得て虚しさという心の穴を埋めようとしているわけではないとは思います。というよりそうしてはいけないと心に誓っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
やはり何か趣味を広げるのがいいかもしれないですね。アルコールも浪費も良くないですから、その時間とお金は他の趣味に使う方がいいです。
何かやりたいこと、やっておきたいこと、やったことが無いこと、ジョギングやゴルフなどの運動関係でもいいし、料理や裁縫などの家庭科目でもいいし、将棋や釣りやカラオケやテレビゲームなどの遊び関係でもいいし、映画や読書や音楽鑑賞などの芸術関係でもいいです。
何か楽しいことを探してみてくださいね。
質問者からのお礼
少し人と関わる趣味、習慣を探してみたいと思います。
ありがとうございました。