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母を見捨てました。

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祖父母・両親と私の5人家族で生活していましたが、祖父は15年前・父は13年前・祖母は5年前に他界し、母と2人暮らしをしてきました。(兄弟はいません)

その母が4年前に乳がんであったことが分かりましたが、母は私や親族・職場の人全員に黙っていました。そして3年前に腫瘍部から出血が止まらず総合病院での治療をするということで初めてその時に私に癌であることを打ち明けました。

何故言わなかったのか問い詰めても明確な答えは得られず、母の看護生活が始まりました。

昨年、母がお隣さんから借金していることが分かり、もうこれ以上一緒に住むことが出来ないと思い家を飛び出しました。

その数か月後、母は一人で亡くなりました。最期は看取りもせず、葬儀もあげず役所に全て任せ、直葬で荼毘にふせ遺骨及び遺品は役所で保管しております。

ご近所に迷惑をかけたので、実家に住むことは出来ず借金も相続したくないため、自分一人で相続放棄の手続きを取り裁判所に認定され実家を手放しました。

何故、母は一人息子である私に何も言わなかったのか。いや、言えなかったとしても後々大変になることは目に見えてるのに分からなかったのか。

また、病院の送り迎えや書類関係の手続き等全部私が一人で行っていたのに、「ありがとう」「ごめんさない」「助かります」というねぎらいの言葉も無く、借金を残して亡くなったのか未だに理解ができません。

葬儀もあげず遺骨の引き取りもせず、母を見捨てた私は生きている価値がないでしょうか?

すごく悩んでいます。

2023年9月7日 20:24
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

安心して、この先も生きてくださいませ。

もっちーさん、こんにちは。ご相談慎んで拝読致しました。難しいお悩みですね。お母様はすでに亡くなられているということですから事の真相をご本人に確認することも出来ませんし、問い詰めたところで素直に答えられるものでもなかったのでしょう。あなた様としてはどうしても納得出来ないのだと思います。真実はもう解りようがありませんけれども、一番の問題は何よりも、ご自身がお母様に対する怒り(のような気持ち)をおさめることが出来ず、また、そんなご自身を(ご自身で)内心責めておられるところにあるのではありませんかね。「葬儀もあげず遺骨の引き取りもせず、母を見捨てた私は生きている価値がないでしょうか?」ということですけれども、人間の「生きている価値」やその有無などは、もとより人間自身に決められるものではないのでございます。事実、今そこにそうして生きておられる事こそが、もっちーさん、あなたに生きている価値があるという証なのではありませんか? 生きてください。お母様が遺されたもの(遺品や遺産などではない、目には見えないものです)を背負って、苦しく辛い時もあるとは思いますが、それでも懸命に生きてください。あなたにはそうする資格があります。現に生かされているわけですから。心のなかでお母様を許せなくてもよろしいのです。怒りをおさめられなくても当然なのです。ご自身を責めてしまうのも、あなたのなかに善い心あればこその働きでありますので。このように、すべてあるがままなのです。そのことを法華経という経典では「諸法実相(しょほうじっそう)」と申します。世界はあるがままでこの上ないものだ、これ以上もこれ以下もない、二つとしてない尊いものだ、というのでございます。いかがですか?、今後(の人生)はそういった「仏教のこころ」こそを学ばれることに使ってみられては。もしもあなたがお望みになるならば、その味わっておられる苦しみも、お母様を通じて仏様が寄こしてくださったものと思えるのではないでしょうか。いのち大道、皆々ひとときも閉じることのない道の上をただまっすぐに歩んでおります。安心して、この先も生きてくださいませ。

そわか合掌

2023年9月8日 15:55
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有り難し
おきもち

個別相談可能
「抜苦与楽こそ“お坊さん”の仕事」  これは拙僧のささやかな信条です。 現在は、横浜の片隅にて、 静かに坐る瞑想と対話の場「そわかの縁側」をひらいています。 仏道修行という旅のなかで味わってきたことを、 ご縁ある方たちと分かち合いながら、 それぞれの歩みが少しでも軽やかになることを願っています。  つまらぬ正論や、きれいごとだけの言葉は申しません。 人はそれぞれのご事情のなかで、生きています。 だからこそ、まずは「素(そ)のまま」を大切に。 そうして静かにほどけひらいていくお姿に寄り添えられたら、拙僧としましてはこの上もありません。 — ・僧籍は静岡のお寺 ・横浜にて「そわかの縁側」を主宰 ・サッカー好きな息子の父 ・家族の鬱を共に乗り越えた経験あり — ご相談はどのようなことでも構いません。 八方塞がりのように感じるときほど、 案外そこに道の入口はあるものですから。 そわか合掌
どのようなお悩みでも、安心して打ち明けていただいて大丈夫です。 つまらぬ正論や、説教めいたきれいごとばかりを申し上げることはいたしません。 人がどのように理屈を重ねようとも、物事はただ「あるがまま」にあります。 いま、八方塞がりのように感じている方。 藁にもすがる思いでここに辿り着かれた方。 仏法に、そっと触れてみたいと感じている方。 どうぞ、あなたの歩みのままでお話しください。 その苦しみのなかに、 実は何かがすでに働いていることに、 ふと気づかれる瞬間があるかもしれませんよ。 そわか合掌

質問者からのお礼

ありがたいお言葉感謝申し上げます。
今生かされていることに日々感謝し、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
仏教のこころもまた学んで一回り大きな人間として成長していきたいと思います。
重ねてではありますが、元気がもらえるお言葉に大変感謝申し上げます。

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