短気の治し方
私はとても短気です。早とちり、思い込み、先入観も激しいです。治そうとしてもなかなか治せるものではないので困ってます。
思い通りにいかないことが、本当にきついです。
相手との距離感を感じたり、私はこうしてるのに、何であの人は同じくらいやってくれないのだろうとモヤモヤして付き合いが続かなくなります。
特に苦手なのが返事が短い人と、返事を待たせる人です。
返事が短い人は、ウッてなってしまうというか、生理的に嫌になってしまいます。
待たせる人は、冷めてしまって、その人のこと想えなくなってしまいます。
私はなにか欠けてるんだと思います。
どうしたら変われるんでしょうか…。普通とか当たり前とかよく分かりません。他人に寛容になりたいのに、すぐ頭が痛くなります。
家庭環境が悪く、母はヒスで毎晩父を罵倒したり私の遺書を破って冷たい言葉を吐いたり、息できないくらい踏みつけたり。不登校の時は酷い言葉を吐かれました。 母の愛を得ようと身を売って金を渡して愛を確かめてました。その時の客と生活。 幼少期は同級生からもいじめられ精神薄弱気味。神経質です。不器用な性格で常に愛に飢えています。恋愛依存やセックス依存を経て、空っぽな感覚を行ったり来たりしながら勉強や目標に向けて生きてます。小さな幸せや感謝を感じながら生きられるように日々精進してます。
欲望、期待や執着、怒り、寂しさ虚しさ。人と比べる。常に付きまとう恐怖心。見捨てられ不安。妄想癖。自己顕示欲。無気力。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
時の流れる音を聞く
よく言われることですが、一呼吸置きましょうか。
会話の中で始める(練習する)のはハードルも高いので、自分の行動の中で。
(例)
エレベーターのボタンをすぐに押さない。一回通過しても悔しがらない。
車のエンジンをかけてもすぐに動かさない。エコに反するかもしれませんがアイドリング。
など。
待つ。ということに意味を感じることができたなら、会話のときでも、こっそり口から息を吐き出し(ふ〜)ながら聞いて、息を吸ってから、返答する。
空白の1秒が「間」を作ります。
お互いの人生の中で、貴重な1秒ですが無駄にはなりません。今後の1秒に1.01秒位の価値を得られます。
待っている間に時間の流れる音が聞こえるかもしれません「無音」。どんな音がするか聞いてみてください。
また、風林火山。
ご存知でしょうか。その中でも「林」。
静かにしていても、周りは動いていて、常に外の状況は変化します。
解決したいなぁと思っていても、時と間が解決することもあります。
より豊かな日々を送られますよう。
合掌
短気というものは元々ない
まずは言葉のトラップを外すことです。
私は短気だ私は短気だと思い込んでいる面があると思います。
そして、実際問題、ちょっとしたことで心を乱してしまうことがある。
そして、その度に「"(-""-)"ああ、またやってしまった…」と自分を責めるようなこともするのでしょう。
そこから、それを改めようとされておられることは実に素晴らしいことです。
短気をなくす、短気を改めてより良い心になろうとすることは自分の精神の向上につながります。
では、どうすれば短気を治すことができるのか。
それは、自分を立てないことです。
自分を立てないとは自分のあらかじめの持ち物、設定をなくすこと。
こうであってほしい。
こうであったらいいなぁ、という気持ちが先にいつもあるのでしょう。
だから、現実がそうでないときに腹が立つというだけ。
別に短気ということではないのです。
単純な道理に気づけばよいだけなのではないでしょうか。
ああ、私はいつも自分が優先されている。
現実世界はいつでも自分の思い通りにならない世界なのにどうして私はいつも自分流の設定、マイルール、マイワールドをこの予測不可能な現実世界に「こうであれ」と無理強いするがごとくに自分を押し付けてきたのだろう、と。
その無自覚ながらの、わたくしルール、わたくしルールのごり押し、押し付け、要求心理に自分が自分で自分の心をよく見て気づけばよいだけです。
瞬殺です。
ちゃんと試してみることです。
明日から、今日から、今から、短気は治りましょう。
あるいは、自分がいつも自分に対して高度な自分を要求しているのではないでしょうか。そして、その自分にこうあるべきだという脳内設定を他方にも要求してしまう。現実の相手がその高いパフォーマンスをしていないと腹が立つのでしょう。
自己の内の私意識を鎮める。
禅とは理知的な仏教です。
自己を明らかにし、人間の心理というものをよくよく自らを見つめていくことで明らかにする道でもあります。
迷いのない人生。苦しみのない人生。腹立ちのない人生。
それにまさる人生の価値などあるでしょうか?
真剣に短気を治そうとする気持ちがあるのであれば、心底本気になって、この自分の人生をより良いものにしようと志すことです。
これを発心、菩提心といいます。
自分の中のどうしようもない自我自我した自分をすてて、よりよい自分を見出していくことです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今日早速試してみました。深呼吸や行動は意識してみないとダメですね。
それから私は、べき論が強いみたいなのでそこも少し改めたいと思いました。
結論を急ぎすぎたり、自分の考えや前提に振り回されてしまうのも少しずつ変えたいです。
風林火山の林ですか、そうですね。待ってる間も、相手や時間が動いていたりすることを想像出来たらなと思います。
貴重なご意見をありがとうございました。
重ね重ね、お礼を申し上げます。
自分を立てないこと、自分を立てないとは自分のあらかじめの持ち物、設定をなくすこと。
おっしゃる通りだなと思いました。
自分で自分に厳しかったですし…、こうでなくちゃいけないことに縛られてたり、他人から見て完璧でなくちゃとがんじがらめになってました。そのせいで上手くいかなかったことが沢山あり悔いが強いです。
凄く苦しかったのは、元々私は短気な性格じゃないのです…。むしろのほほんとしており、のんびり屋でした。しかし、穏やかではなく臆病で繊細なところが裏目に出ました。それから自信がなくなった出来事があり、それで焦燥感から無理くりに自分を変えようとしたのがいけませんでした。
一度苛立ちに苛まれ、自信をなくすとなかなか立ち直ることが難しいのですね。
でもやっと、ちょっとずつ直せそうな気がします。
元の自分がだんだん掴めてきました。
また、今度は自分らしく相手の気持ちも考え、穏やかな縁が紡げたらいいなぁと思ってます……。
ありがとうございました。