人と関わる事が怖いです
過去に自分の凝り固まった考えのせいで、仕事で出会ったある方に不信感を抱き、そしてその人に対して私は劣等感もあり、関係が上手くいかず、最終的にその人の心を傷つける結果になってしまった事があります。
それについては謝罪し、謝罪は受け入れてもらい、幸いにもその方とのご縁は続いています。
この件から、自分の欠点に気づきました。
私は、自分の考えが正しいと頑なになってしまう所がある事、人と何でも比べて優劣をつける癖がある事、人から良く見られたがって見栄を張ってしまう事、人の幸せを妬ましく思ってしまう心があった事、です。
この性格のせいで、おそらく気づかないうちに傷つけてしまった人もたくさんいると思います。
長く罪悪感で苦しみ、罪悪感から逃れたいと考えてしまった時期もありました。ですが、今は罪悪感から逃れたいとは思いません。自分がしてしまった過ちを受け入れ、もう二度と同じ間違いをしないようにずっと胸に刻んでおくためにも、罪悪感は持ち続けようと思っています。
そしてこれからは、関わる全ての人に敬意を持ち、等身大の自分で、出来る限りの親切を尽くし、そして相手の幸せを願って接したいと考えています。
しかし、人と深く関わる事が怖くなってしまいました。深く関わると、やはり私の欠点が浮き彫りになり、人に対しての嫉妬心や見栄を張る心が出てきてしまい、そのせいでまた人を深く傷つけてしまうのではないかと、とても不安です。
自分の欠点を改め、健全な人間関係を築けるようになりたいです。
その為には、どのような心構えや考え方を持ち、人と接していくと良いでしょうか?
ご教授頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先立てるモードや構え、スタンスがなくても現場は回る。
無為、無我、なすことのない構え。それこそが人間の最高の構えというものです。アチョー!
たとえば書においてはこのような字を書くにはこのような筆が望ましいということはある。
あるいは楽器の演奏もこの曲を奏でる上においてはこの楽器がよいということがあるでしょう。
社会においても「こうしたほうがよい」というマナーがあっても絶対ではない。
あなたの深層心理に「勝ちに行こうとする」姿勢や理論武装心理があるのかもしれません。それ、捨ててしまう。
たとえば旅先で見知らぬ人とお話しできる人とそうでない人との違いのように。
お子さんやおじいちゃんおばあちゃん、誰とでも仲良くなれる人の姿勢というのは堅苦しいマイルール、人間ルール、自分ルールがない。
いきなり飛び込んで構え無しにお話しする。釣りバカ日誌のように立場がない。
人は何かをする上でこうしなければ、こうするべきだ、こういうモードでヤるぞ、イくぞとするお荷物意識が立ち上がることがある。
それが為にかえって結果的にスベるということすらある。
私が修行道場にいたころ、あるアツい方が現場をブイブイ言わせておりました。
この人、自分ルール強いなぁ…、というタイプの人で私もよくやられました。初対面で殴られたり。するとその人に対して指導するおっかない方が「💀お前がいなくてもここは回る」とご指導されました。そのご教導ををその方がどう受け止められたかは存じ上げませんが全人類の我を奪い去る面白い響きだなぁと感じました
「オメェー🐑がいなくてもまわる💀」
何が回るんでしょうか。
地球が回るのでしょうか。はい。今日も地球は私がいなくても回っています。
現場も回るんでしょうか。はい。その人がいない方がみんな緩やかでした。
カラ回りしていたのはどこだったのでしょうか。はい。ご本人様です。そして全人類。誰もがスベっている。およそ空回りだっつーの💀ってことですわ。
よって、あなたもその過去、スベらない話にしましょう。
結果、先輩は磨かれ、山あり谷ありの後、ご立派な教導職に就かれました。賛否両論あろうとも、確かな教導精神に目覚められて、周囲の突っ込み意見も空回りで機能しなくなる位になりました。よって貴女も①人の言葉で自分を傷つける癖や②自分を空回りさせるマイルール③失うことの恐怖心④勝ちに行く姿勢⑤先立てる意識を捨てましょう。💀それでもまわるからです。
質問者からのお礼
とても良いお話が聞けました。また、軽快な文章にほっこりさせて頂きました。あまり構え過ぎずに、前向きに人と接するようにしたいと思えました。心より、ありがとうございます。