悪意を受け取らない
お世話になります。
悪意ある噂話や悪口は受け取らなければ本人に返る。と言いますが、どうしても心が持って行かれてしまいます。
わざと聞こえるように悪口を言われたりすると相手を見てしまったり、わさと目が合うように見つめてくる人には睨んだりしてしまいます。
以前、南無阿弥陀仏と唱えなさい。とご指導頂き、嫌な相手の前では南無阿弥陀仏と唱えておりますが、心が弱く、気持ちが持って行かれてしまい、苦しくなったり、イライラしたり、いっそのこと、殺しに来い!と思ってしまいます。そんな時は負の自分に押しつぶされそうです。
受け取るな。と自分に言い聞かせ南無阿弥陀仏と唱えるのですが、怒りと噂の恐怖とで押しつぶされそうです。
心の中で、言っている相手に地獄に堕ちろ!と
も思ってしまいます。
こんな事を考えながら南無阿弥陀仏と唱えても救われるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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相手の土俵にのったら辛い
救われないですね^_^
1番いいのは、イラっとしたらその場から離れること。そして目の前の様子にシフトする。想いに引っ張られた様子から、イマココ事実に戻すのです。
思わないようにするのではないのですよ。思ってもいい。でもただ思ったという働きがあっただけです。これはリアルではない、妄想のようなもの。握る必要もない。消そうとする必要もない。放っておく。それより目の前のリアルまで見えている景色、音、香りになりきりリアル優先で生きるのです。南無阿弥陀仏でも、南無釈迦牟尼仏でも今夜はカレーでも何でもいいから、唱えることになりきれるかどうか、今ここでやっていることになりきれているかどうかが大切なのです。気に食わない人は手のひらの上に乗せて、遠くから眺めていましょう。あなたの掌の上でジタバタしているだけですよ。
質問者からのお礼
頭では分かっていても実際、その場になると難しいです。
ジッと見られると見てしまう。聞こえて来れば耳が傾いてしまう。
正直、今の私には難しいです。