おめでとうって言えない
先日好きな人のSNS投稿で、プロポーズが成功したことを知りました。
私自身自分が想いを告げても叶わなくそのような関係にはいたらなかったのですが、貴重な趣味仲間として縁を切らないでいました。
他の仲間はその投稿に対し、おめでとうという言葉を即座に送っていました。
自分自身、SNS疲れともあり数日投稿しておらず今回の件はたまたま知った感じです。
おめでとうという文字を綴り送信しようとも指先が震え送れなかったので今でもそのままです。
近い内にその相手と会える機会があります。(他の仲間も交えている)
お店を予約する形なので日付が近づくとキャンセル料が発生するため、行かないにしても相手にその期限までに連絡をしないといけません。
素直におめでとうと書けなかった自分、相手や趣味仲間と会える機会もなかなかないので集まりには行きたいが、色々と整理できない自分がいます。
どういう選択を取ればいいのかわからなくなってしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
あなたの好きな人がプロポーズなさって成功なさったことを知って、あなたはその人におめでとうと送ることができずにどうすればいいのかと悩んでおられるのですね。
また近々お会いすることになりお店に行くかどうかも悩んでいるのですね。あなたがその様に悩んでしまうお気持ちもとても伝わって参ります。あなたのその辛いお気持ち心よりお察しします。
好きな人がその様にうまくいって結婚なさっていくことに、おめでとうと素直に言うことできるかと言えば正直なところ難しいと思います。素直に喜んであげられる程、人の心は広くはないでしょうからね。
何が正解なのかはわからないですけれども、ひとまずあなたのお気持ちが少しでも落ち着くまではゆっくりと様子を見てもいいのではないかと私は思います。
無理矢理自分の気持ちを押し殺してまでも人に対してお祝いを述べる必要はないのではないかと思うからです。
あなたのお気持ちが少しずつでも落ち着いてその人へのお気持ちも整理することができる様になってから、あなたの素直なお気持ちを言葉になさってみても宜しいかと思います。
これからのご縁を大切になさって下さいね。
普通に無難に
内心は複雑な思いがあるでしょうけど、普段どおりに接して、世間一般並みにお祝いするのが無難でしょうね。
形(型)という物理的な行為が救いになります。
浄土宗では、なむあみだぶつと念仏を称(とな)えるなら誰でも救われると説かれます。
そして、文献によっては、「疑いながらも念仏すれば往生できる。」という考え方も出てきます。
口で南無阿弥陀仏と称(とな)えるという物理的な行為だけで、どんな悪人も、疑い深い人も救われる。
そんな感じで、表面上だけでも普通に接することが、ある意味救いになるかもしれません。
質問者からのお礼
回答してくださりありがとうございました。
自分の気持ちを整理して相手に誠実に向き合えたらいいなと思います。