母の癌と緩和ケア、僕の後悔について
まだ母は亡くなってはいないのですが、カテゴリ的にここが一番近いため、このカテゴリにしました
僕の母は女手一つで僕を育ててくれ、またあまり良くない親戚から幼い僕を守ってくれた人でした。僕が成人し、働くようになってからも、困ったことを相談したり、助けてくれたりと支えてくれていた人でした。
そんな母が9月に直腸癌で余命宣告をされてしまいました。緊急手術をし、人工肛門をつけることになったのですが、そのがん宣告と手術のショックからか、精神症(幻覚や妄想など)を患ってしまって、自分から退院してしまい、がんそのものの治療に行けませんでした。
僕は必死に県外の病院を探し(精神症の母が県内は嫌だというので)、入院させることはできたのですが、そこでもがん治療はできず、母の精神が落ち着いた頃に母の希望で僕の住んでいる県に転院しました。
ところが転院し、ようやく母の望んでいたがんの治療が出来ると思っていたのですが、転院の前後から、転移していた肝臓のがんが急速に広まり、これでは治療が出来ないと言われました。
また、セカンドオピニオンにも行ったのですが、やはりそこでも治療は出来ないと言われ、緩和ケアしかできなくなってしまいました。
もちろん、治療をすれば100%治るわけではないのは知っていますが、母は「死ぬのであれば治療をして死にたい」と言っていたのもあり、母の最期の望みを叶えてやれなくなったのがとても苦しいです。
また、治療についても、精神症で入院していた時に、本人の希望していた転院ではなく、無理にでもその病院で治療をさせていれば結果は変わったのではないかとも思い、後悔しています。
母は職業柄もあり、多くの人に慕われるような「いい人」でした。
なぜ神様や仏様はそんな母が治療をしようとするたびに急に状況が悪くなり、自分の望む治療もできず、死に方も選べないような状態にさせるのでしょうか。
また、僕は先述の後悔をどうすればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どんな人生でも最期の時を輝かせることが出来る
そらまめ 様
あなたが後悔をするのはいたしかたない。どんな病気だっていざその時には、またその時までの過程には教科書はないのですから。しかし過去の「あーしてれば、こうしていれば」と悩むより、小さなことでもいいので、出来たこと、納得できたことを書き出して、その時の気持ち、感覚、(もしかしたら満足感・達成感・感謝の気持ちなど)の感情を思い出し、その状態になったつもりで、これから臨んでいく方がこれからの力になると私は思います。
お母様は、精一杯生きているでしょう。あなたに手本を見せてくれているでしょう。生ききるを実践しているでしょう。愚痴や無念の気持ちを吐くかもしれないけど、あなたに感謝もしているし、希望の光も持っているでしょう。
どんな人生でも最期の時を輝かせることが出来るでしょう。そのためにあなたとお母様が居るのだと、私は思います。
ひとつの方法として、埼玉県にある、願いの車の活動をご紹介します。
NHKでも取り上げられていました。参考にしてください。
https://www.facebook.com/LastDrive2018/
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。そうですね、これまでも思いの残しが無いようにされてきたでしょうね。頑張っているんだと拝察いたします。
もし出来ることが出来なくなっても、後悔する必要はありません。思いは通じているのですから。私はそう思います。再礼
質問者からのお礼
釋 孝修 様
お返事、ありがとうございます。
がん宣告を受けた段階で、僕も母の思い残しがないように動いてはいるのですが、正直今まで受けてきた恩と比べると「ああ、自分は何一つ返せていないな」と感じてしまいます…
ただ、仰られる通り、出来なかったことに目を向けるよりも出来たこと、これからでも出来ることに目を向けていきたいと思います