覚悟と諦めの違い
悩みとは違うのですが、お坊様の考えを伺いたいことがあります。
それは覚悟と諦めに違いはあるのか? です。言葉のニュアンスは、前者はポジティブで勇ましく、後者はネガティブで情けないですが、行為としては同じでないか? と。
「諦める」の語源は「明らむ」、つまり、「つまびらかにする、明らかにする」ことだと考えられています。 また、「諦」は仏教で「真理、道理」の意味があるそうです。「覚悟」にも「悟る」という言葉が入っていますね。
どちらも仏教と距離が近い言葉なのだな、と勝手に思っています。
皆様のお考えをぜひお聞かせください。
言い訳・ウソばかりつく 自分に自信がない うすっぺらい・浅はか 頭の回転が遅い
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですね。諦めるという言葉は元々の仏教用語としては悟るに近いポジティブな意味です。
ですからお坊さんもポジティブな意味で認識しています。
しかしどういうわけか長い日本の歴史・文化の中で一般的にはネガティブな意味に使われることが多くなりました。
なので諦めるという言葉には現代の日本ではポジティブな意味とネガティブな意味の2つがあるということですね。
どちらが正しいとか決めなくてもいいと思いますよ。
言葉の意味や使われ方は長い歴史の中で変わるものですからね。
諸行無常、全てのものは移り変わるのですから。
質問者からのお礼
聖章さま
返信が遅くなり申し訳ありません。
ご回答ありがとうございます。
20代も残すところわずかになり、ここからの人生、諦めることが多くなるのだろうな、と予感し、かなり切ない気持ちになっていますが、
お坊さんのようにポジティブな捉え方で、あまり深く考えないようにしたいと思います。
ありがとうございました。