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罪悪感

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はじめまして、よろしくおねがいします。

私は、今まで30年以上生きてきましたが、今立ち止まり振り返ると自分のしてきたこと全てを間違えてしまったと感じてしまいます。

人を傷つけ、やさしさを持たず、色眼鏡をかけて見て人を判断し、仕事上ではヒステリックに怒ればことが進むと勘違いし、男女関係でも道徳に反した行為があったと思います。このようなことはしないような人間でありたいと思って生きてきたはずなのですが、いつしか仕事の忙しさや周囲のやさしさにかまけて、気がつかないうちに傲慢になっていました。
それを、今になって気がつきました。いかに周りに対して愛情がなかったのか、、恥ずかしいです。傷つけてしまった方々には本当に申し訳ないとおもっています。しかしながら疎遠になってしまって謝ることもできません。

そしてこのような罪悪感を感じるのと同時に、周りの人々にはどうみられていたのかと人の目が気になり、陰では悪い噂がたっているのではないかという不安があります。罪悪感があり悪いのは全て自分だと感じているのに、まだ保身の考えを持ってしまう自分にも嫌気がさします。

私はこの先どのようにこの罪悪感と付き合い、罪滅ぼしをしてゆけばよいでしょうか。どうか、ご助言ください。よろしくお願い申しあげます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

貴女が変われば周りも変わる

きっちり懺悔する。そしてそれ以上その事を引きずらないことです。
詫びるべきは詫びる。「今まで、厳しく接してきてしまった事を本当に深く反省しています」と、伝えられる機会があれば伝えるべきです。高い所から下りていく生き方が要求されている時代ですが、そもそも人間は上下、優劣の隔てを強く持たなければ、どんな小さい子とでも動物とでも遊べる人のように、天然の柔軟性がわいてくるのです。
プライドに頼る事をやめ、地を生きる事です。(^<^)
傲慢、驕りは自分を強く見せるためのものです。
つまり自分が人より優位に立とうとする比較の気持ちが根底のあるのです。
貴女はそうしなければならなかった。立場上、威を示すことでチーム全体の責務を全うされようとした。
私の好きな和尚さんの一人が雲水修行時代、修行僧の指導をする立場にあった時、厳しい一面を以って修行僧に接していたそうです。彼はある方から「あなたの言っていることは正しいが、やり方が間違っている」とご指摘をいただいて、改心したそうです。
正義で人を傷つけてはいけない、という教えがあります。
これを機に、謙虚な気持ちで、周りに対しては、明るく、尊重の心を以って接することです。
目立とうとせず、ご自身の為すべき事をただ淡々と為すだけでよいと思います。
人の目とは、人の目、人の評価を気にする自分の心の働きです。
相手の評価云々ではなく、自分が人の目を気にして、ダークなイメージを描いているだけに過ぎないという事に目覚めてください。
あなたが変われば、相手が変わります。
貴女が穏やかであれば相手も穏やかに。
あなたが過激になれば、相手もそれに応じるのです。
誰もが泉になれます。あなたが良い雰囲気の源泉になって、今まで通り主体性をしっかり持って、良いハーモニーが生み出されるように、つとめていきましょう。

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意識を自分から他人へ

はじめまして!真宗大谷派の青峻と申します。

まず申し上げます、人は間違いを犯すものです、そのため迷い苦しむのでしょう。
そして成長することにより人としてより良くなっていくのです。

過去に犯した過ちは無くすことは出来ませんが、今からの事は選ぶことが出来ます。今あおいろさんがその過ちに気付いたことは大切なことですね。

私がオススメすることは、他人の幸せを願いささやかなことで良いので行動することです。

笑顔を見せること、相手の幸せを願うこと、相手の気持ちを理解しようと努力すること、誰かのために募金すること、優しく話す、そんな事から始めればいいと思います。

人は自分のことを思うと誰でも弱くなりますが、他人のためには強くなります。

意識を他人に向け始めると他人の目は気にならなくなってくるはずです、今は自分に意識が向きすぎているのでしょう。

他人に何かを与えようとすると、自然に自分を許すことも出来るようになりますし、何よりあおいろさんの周りが幸せになっていきます。今から意識していけば、いずれは過去に傷つけた方々より多くの方を幸せにしていくはずです。

後悔する為に生きるのではなく、幸せを広めるために生きてみませんか^ ^

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私達は本当に悩んでいる事は、なかなか相談する事ができませんよね、私も10年...
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罪を犯した事のない人などいませんよ

あおいろさん、こんにちは。
罪悪感で悩んでいる様子が拝察できます。
先ず考えなければいけないことは、この世に生きている人で罪を犯した事の無い人などいないということです。
仏教では過去の過ちを反省することを「懺悔(さんげ)」といいます。
私たち僧侶も日々、知らず知らずに犯している過ちに対して、経を読みながら反省する毎日です。
仏教的な回答をするならばお経を読んでみてはいかがでしょうか。
『般若心経』などは適当な長さでおすすめです。
まずはお試しあれ。

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有坂脩岳(しゅうちゃん)
『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。...
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罪悪感への対処について

あおいろ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

罪や過ちを犯してしまったとしても、仏教では「慚愧」、「懺悔」することがまずは大切なこととなります。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』

もしも、もはや謝罪や償いが難しいとするのであれば、二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行や報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂きます。また、下記問いにおける拙回答では「懺悔文」というお経について扱わせて頂いております。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」

「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」

ご質問にありますように、これからも罪悪感と付き合い、確かなる罪滅ぼしをしていくには、誠に上記の「懺悔文」をことある毎にお唱え致して、そして、積み上げてきてしまった、あるいは積み上げてしまう罪業や悪業を対治、排撃していくためにも、尚一層に善徳行・慈悲行・利他行に努め励むことが大切になるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ありがたいお言葉をどうもありがとうございます。ご回答いただけて嬉しいです。わたしはどこで懺悔しお経を読めば良いのでしょうか。自宅の自身の部屋で、日々行うことでも良いのでしょうか。日々反省し悔い改めたいと思います。

青峻住職さま、ご回答どうもありがとうございます。あたたかいお言葉を頂けてうれしいです。これからは、自分に意識を向けず、周りの幸せを願い、行動に移して行けるように努力したいと思います。後悔する為に生きるのではなく、幸せを広めるために生きてみたいです!

丹下住職さま、ご回答どうもありがとうございます。私の過去の行いは、ご住職のおっしゃる通りで大変胸が痛いです。職場を離れ、長く時間がたってのしまった今、ひとりひとりに対して、お詫びすることが難しい状況であります。ですので、心の中で、お詫びを繰り返しております。今、きっちりと懺悔し、悔い改めたいと思います。尊重のこころをもち、謙虚な姿勢で歩んで行きたいと思います。自分を変えることが出来るようにしたいです。

川口住職さま、ご回答ありがとうございます。懺悔文を唱え、善徳行や報恩功徳に努めて参りたいと思います。
二度と同じ過ちを繰り返したくはありません。それが出来るようにと願い、毎日を過ごしております。
日々やってくる、決断の際に自分に対して不安になることがおおいですが、
少しでも人のお役に立てるような、まっとうな人間になれるよう努力いたします。
ご助言いただき、本当にありがとうございました。

「罪悪感を消したい・罪の意識で苦しい」問答一覧

必要以上の罪悪感を抱かなくする為には…?

最近、ちょっとしたことに罪悪感を感じてしまいます。勿論、謝るべきだなと思った事は直ぐ謝るのですが、普通の人なら気にしないようなことに対しても、謝った方がいいのかな?って何に対してもそう思ってしまうときがあります。 例えるなら、外に出かけてて、壁にカバン、もしくは手が軽くぶつかっただけでも、傷付けてしまっていてはどうしようと思って確認しても傷も何一つ無くても、明らかに自分がぶつけたところとは違う所に傷を見付けた時も、実は私がしたんじゃないか?ってモヤモヤしてしまったり、他にも普通の人なら謝らないような小さな事に対しても罪悪感を凄く感じてしまい常に謝ろうか考えてしまいます。 ですが、最近は、その何に対しても罪悪感を感じて謝ろうとするのは、相手を思って謝ろうとしてるのではなく、自分のこの何に対しても感じる罪悪感を消そうとして気持ちを押し付けようとしてるだけだと思うようになりました。 本当に相手を思うのなら、時と状況を見極めて、何の為に謝るのかを考え、相手のためになることをするべきだと思うのですが、普通なら気にしない小さな事でも、申し訳ないことをしたと思い、凄く罪悪感が出てきてしまいます。 特に、大きな失敗した時やメンタルが落ち込んでる時にこういう風になりやすいです。 どうしたら、必要以上の罪悪感を感じなく、小さな事に対して動じなくいられるような精神力を付け穏やかにいられるようになりますか?

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些細なことへの罪悪感を無くしたいです。

こんにちは。 私は子供の時にもあったのですが、急に過去の事や普段していることについて悪いことだと思った時に、次からそれをしなければいいことなのに、わざわざ親にそれを告白までしないと辛くなってしまうようなことが何回かありました。 昨年の夏、結婚して5年程の夫のことを心からいい人に出会えたなと思うようになったのですが、それと同時に急にある罪悪感が押し寄せてきました。 結婚生活を始めてから実は昔好きだった同級生を何故かまた焦がれてしまい、直接的な連絡は絶対にしなかったものの、元々snsでは繋がっていて必ずいいねをくれるので、いいねを貰えると嬉しいなと思ったり、彼によく思われたいと思って写真をあげてしまったり、自分の運営しているサイトをアップしたりしていました。その時も時々罪悪感はあったのですが、義実家からのつらい当たりなどあり、半ばストレス発散も感じもあったかも知れません。 その事が急に申し訳なくなりました。心理の専門家には、直接的な行動(連絡や会うこと)をしていないのだから、罪に思わなくていい、完璧主義すぎるからそうなると言われました。 耐えれなくて夫に簡単に伝えてしまいましたが、夫はそれでも結果的に今隣にいてくれてるからいいんだよと言ってくれと救われました。 それから、同級生を思い出すことはあってもこんなに辛くなるならもう彼のいるSNSはしばらく見ないようにしようとアプリを消しました。ただ、他にもSNSには大事な友達もいるし、私も直接的な不倫までしたのでは無いので大袈裟だったなと思い、アカウントはそのままにしておきました。 そして今年に入り、またSNSには他にもたくさんお友達がいるので、気になっていた同級生に向けてではなく、みんなに近況でも伝えようかなと久々にアップしました。 ところがアップしてしばらくして、彼以外の他の友達からコメントなどがあって、やっぱり楽しいな〜と思った矢先、本当に彼のことを意識しないでアップしたのかな?(意識しないようにしすぎて自分で分からなくなってる感じ)彼からいいねまた来たらどうしようなど余計なことまで考えて、削除して、罪悪感だけが強く押し寄せて来ました。 周りには浮気などの経験があっても今を楽しく生きてる人がいるのに、過剰に気にして辛いです。 切り替えて今を前向きに過ごすにはどうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 4
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ものを捨てすぎたことに対する後悔

文章が支離滅裂でしたら申し訳ありません。 去年の夏頃に、占い師からものを捨てた方がいいと言われ、さらに自分の体調のことで思い悩んでおり、治療をしても思い通りに良くならない自分の身体が憎たらしくて、ストレスが酷く、とにかく現実が許せなくて、自殺する勇気もないので、ストレスの赴くまま、自殺の準備かのように部屋のものを半分くらい捨ててしまいました。おそらく精神的な自傷行為のようなものだったと思います。たぶん、自殺のような意味合いで、すべてを消したかったんだと思います。 それから1ヶ月ほど経った頃、だんだんと捨てたことに対する後悔が強くなり、今では捨てすぎたことに対して大きな喪失感を抱え、鬱になっています。ひどい虚無感がつねにあり、頭がストレスでおかしくなりそうです。 自分が大事に集めてきたものがなくなってしまい、アイデンティティ、大切だったものがなくなった感覚、自分自身の一部が消えてしまったような感覚があります。 お買い物を楽しもうとしても、でももうどうせ大事なものがほぼなくなったから今更買ってもどうする?と、いまさら頑張っても無駄な気持ちになって、何も楽しくありません。 ですが物がなくなり生活に困っているわけではないこと、実際に今まで物が多すぎたことは確かで、捨てたことも悪いことではなかったのだと思います。それに捨ててしまった失敗に固執しても前に進めないこともわかっています。ですが、頭でわかっていても、気持ちがついていかず、納得ができません。 ちなみに4年前にこちらで元彼と別れたことを引きずるという相談をさせていただきましたが、その時も頭で理解していることと気持ちがついていかず、思い悩みました。そしていまだに引きずっていますし、きっとこれから先誰かを好きになることもないのかなと諦めています。 ものを捨てすぎて鬱になる、なんて側から見ると小さな失敗かもしれないのですが、自分の中では大きな喪失となっており、これから立ち直れる気がしません。今まで集めたものがもう買い直しもできないようなものだからかもしれません。積み重ねたものが全部なくなってしまった気持ちです。 何をしようとしても、あの楽しかった過去の自分には戻れないんだ、と悲しい気持ちになります。 もう疲れてしまいました。長々と申し訳ありませんでした。

有り難し有り難し 4
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罪悪感のない状態が怖いです

罪悪感のない状態が怖いです。 最近誰かが批判されていたり、誰かが誰かを恨んでいるというような内容のネットの書き込みを見て、 自分がその加害者になった気分になり、ひたすら1人で謝り続けるといった行為を辞められません。     過去に人の心を傷つけてしまった事や、数々の失敗してしまった事などを毎日思い出し、 また自分の粗探しがこの頃趣味になっており、 自分は生きていては迷惑であると思い知りました。   しかし、私なんかに〇ぬ権利もなく、苦しみながら逃げられずに生き続ける事がせめてもの存在してしまった事への償いなのかもしれないと迷い、 最終的に、行きながらも当然幸せを感じる事は許されない。むしろ自らどんどん不幸になり苦しまなければならないんだと結論づけました。     万引きから殺人事件まで何らかの加害者となってしまった方々が、ネットで誰かから批判され、 「〇ねばいいのに」や「許さない」「一生苦しめ」等の言葉を投げかけられているのを見て、 自分が言われているような気分になり、恐怖や希死念慮、血の気が引くような感覚を味わっています。   少しでも暇がある時や、休みの日は1日中そう言った記事や掲示板を見るだけで終わってしまう事も毎日のようにあります。    先日病院にて抑うつ状態と診断されてしまいましたが、こんな自分など診断して頂く権利はないとお医者様に申し訳なく思い、 まだまだ苦しまなければならないと焦っています。   一方で苦しみを怖がっている甘えた自分もいます。激しく怯えながら何か罰を受ける事こそが私の義務なんだといつも自分に言い聞かせています。   こんな事をしていたって私がのうのうと生きる事が許されるわけありませんが、せめて罪悪感を味わっている状態でないと不安でどうにかなりそうです。 こんな風にいつまでも自分本位な事も最低だと思います。   もうどんな生き方をすれば良いのかがわかりません。人生を終わらせたくて仕方ありません。 もし宜しければどなたか知恵を授けていただけませんか。   拙い文章で申し訳ありません、 お坊様の忙しいかもしれない時期に本当に申し訳ありません。。

有り難し有り難し 29
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昔の過ち 罪悪感で苦しいです

昔の失礼だったことや過ちを後悔して辛くなります。 そのひとつに、 7年ほど前、母を亡くしました。 その時まだ20代前半だったわたしは、葬儀は父に任せており、細かいことはわかりません。 香典は辞退します、と伝えていたのですが、私の職場の上司数名からそれぞれ個別で、御香典を頂いたようです。(職場の福利厚生でも頂いていて、忌引休暇あけのときにお礼と、職場の皆さんへお菓子をお渡ししました。) 上司の皆さんへ、その時のお返しをしなければならなかったのに、出来ていないことを今更思い出し、大変後悔しています。(父に、これをお渡ししておいて、と言われていたものを渡せていません。カタログギフトだったのかな?と思いますが、中身は分かりません。) 言い訳になりますが、このようなことが初めてで、どうしたらいいか分からなかったのと、あとから渡そう、と思って忘れてしまったのだと思います。 今になって、自分が結婚したり、他の方の葬儀に参列したりする機会もあるなかで、やっと大人の常識もわかってきて、あの時なんて失礼なことをしたんだと、本当に恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 何年か経ってから私は異動になり、退職なされた方もおられるため、皆さんと連絡は取れない状況です。そのことがあっても、異動するまでの数年間、上司の皆さんには大変よくしていただきました。 このようなこと以外にも、自分の未熟だったこと、失礼だったこと、自分の後回しの癖による過去の過ちや失礼だったことがたくさんあります。次々と思い出してしまいます。罪悪感で辛く苦しいです。

有り難し有り難し 21
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ