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阿弥陀如来の存在を確信できません

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有り難し有り難し 6

浄土真宗の方におうかがいいたします。
私は浄土真宗某派の門徒で、すでに法名もいただいております。
代々の門徒の家に生まれ、お経と言えば正信偈でした。
しかしながら、阿弥陀如来の存在を確信することができません。
人間を超えた大いなる存在があり、それによって生かされているということはしばしば実感し、そうしたときは感謝の念が自ずとわいてきます。
しかし、それが阿弥陀如来だ、と言い切れるかというとそうは言えないのです。
必ずしも阿弥陀如来でなくてもいいのではないか、という気がします。
大いなる存在は感じることができても、「法蔵菩薩であられたとき・・・」「四十八願を立てられ・・・」「西方浄土におはします・・・」と物語が始まった途端に、あまりの非現実さに白けてしまうのです。
現在の文献学の認識では、浄土三部経はゴータマ・シッダッタ様が直接に語ったものではないというのが、定説だと思います。
キリスト教がキリスト教たり得るのは、預言者イエス・キリストに近侍し、その言動と奇瑞に直接に心を揺るがされた弟子たちの福音書があるからだ、と考えます。
阿弥陀如来は、誰が、どのようにして見出されたのでしょうか。
別の言い方をすれば、浄土三部経は、誰が、どのように阿弥陀如来の存在を感得して、編まれたのでしょうか。
誠に不躾な質問で恐縮ですが、私にとっては根源的な問題なのです。

2023年12月26日 21:46

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

現代の学問的知見から見れば

浄土三部経とその内容が、釈尊が確認して語った歴史的事実の記録ではなく「仏説」と騙って誰かが作った創作物語であることが、歴史上の事実として認められています。
 当のインドではこういう創作品が受け入れられず、いわゆる大乗経典がどれも流行らず、仏教をそれまで知らなかった中国に初期仏教の経や律と一緒に持っていくと、これも仏説として受け入れられた、というのが歴史上の実態のようです。
 同時に様々な「仏教」説に触れた中国や日本のお坊さんは、自分でいろいろ解釈して整合性を取ろうとしました。「宗派」はそういう祖師たちの努力の結果です。
 例えば親鸞は最晩年の「自然法爾章」などに、阿弥陀如来と言っているが、これは真理そのもの(法身)が仮にそういう形でここでは表れている(報身、さらには方便法身)と解釈しました(その後の浄土真宗ではあまり受け入れられていません)。
 親鸞も同時代の誰も浄土三部経が創作品だと知らなかったと思いますが、内容を何とか理性的に整合しようとするとそういう理解になると思います。
 大いなる存在と会う、合一する、という考えは、世界中の宗教に共通の考えで、インドでは禅定に入って梵天界に行く梵我一如が有名です。仏教に入って仏性・如来蔵思想と呼ばれます。
 これはまだ悟りではないのですが、釈尊も施論・戒論・生天論として、幸福な輪廻として、悟らない場合の次善の生き方として勧めています。浄土真宗のように悪人こそ、ではなく、布施や持戒などを頑張ってから、ということですが。

2023年12月27日 8:13
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有り難し
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質問者からのお礼

藤本様、大変ありがとうございます。藤本様の著書は何冊か拝読しており、最近では「部派分裂の真実」を読ませていただきました。私が阿弥陀如来を信奉する浄土真宗に確信を持てないのは、阿弥陀如来の淵源もさることながら、あまりに他力を強調するがため、今生でのおのれの存在の意味が分からなくなってしまうことです。「いただいた信心」は考え方としてはもっともですが、鎌倉時代の難民に近い人々ならともかく、現代の人間にとってはむしろ易行どころか最大の難行です。おっしゃるように今生で布施、持戒の努力はするが、それはそれとして(それをしなくてもその意識さえあれば)浄土でその努力の続きをさせてくださるというのならまだ論理的に理解できるのですが。ともあれ、ご回答に心から感謝申し上げます。

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