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過去の性的な過ちの捉え方

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有り難し有り難し 10

私は、小学校の高学年から中学生ごろまで、性的な過ちを犯したことがあります。

具体的には、屋外で自慰行為を数回する(知人に見られたこともあります)、また、数十秒間従妹のおしりをさわったこともあります。

今となってはなぜそのような事をしたのかわかりません。
両親が厳しく、性的な事を考えてもいけないという教育で、とても抑圧された環境だったことや、小学校の友人が、性的なことにとても詳しく、屋外でSEXをしたという話や、アダルトビデオや本を見せてくれ、無知な私は、その中の世界のことを実際にしてもいいと思ってしまっていたのだと思います。また元々の性質もあると思います。

成長して、自分がいかに異常で、とんでもないことをしてしまったか。人を不快にし、尊厳を踏みにじる行為だったという自覚を持ち、その後罪悪感から幸せを感じる資格は無いと思い生きて来ました。それは20年以上経った今でも変わっていません。

恋愛をしても、こんな自分の子供はつくってはいけないと考えて、自分から離れていくような関係しか築くことはできませんでした。
また、後悔の念から何度も自殺未遂をしましたが、結局私は自ら死ねるような人間ではありませんでした。

本題のご相談ですが、現在会社勤めをしておりますが、何か人の力になることをしたいと考え、整体師の専門学校に通い、無事卒業することが出来ました。元々職業にする気はなく、身近な方や高齢者の方にボランティアで施術できればという軽い考えだったのですが、施術して喜んでいただけることはとても幸せな経験でした。また、憧れる方にも出会い、自分もプロとしてこの道に進みたいと考えました。

しかし整体に真剣に取り組もうと思うほど、絶対に、セクハラなど行うことはないと言えますが、過去を考えると、そのような罪を犯した自分が、直接人に触れる仕事に就く資格は無いのではないかと思い苦しんでいます。

自分の犯した罪であるので、苦しむのは当たり前ですが、どうしてもこの道に進みたいという自分と、そんな資格はないという自分がいて、ずっと出口が見えずにいます。

大変お忙しい中ではあると存じますが、ご回答いただければ幸いです、宜しくお願いいたします。

2024年1月16日 21:16

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

懺悔してやり直す。

( ˘ω˘ )
反応がないようなので、別角度から。

過去においての過ちを過ちとわかってはいるものの、自分流の納得する形でなければ自分を罰せないとか、結局自分のこうする方がよいだろうということをやっておられるような印象を受けますが、その人たちに懺悔をする気持ちはあるのでしょうかね。
とても今更あの時のことはごめんなさいとは言うことはできないでしょうが、
優先順位から考えてみたらどうでしょうか?
もし、過去における性的な他害行為があったならば、本来であればどうするべきか。もし法的な裁きがあるとすればどうあるべきだったか。
1本人に謝罪する
2本人に直接謝罪はできなくても、自分で懺悔反省して、今後そういうことの無いように生き方を改める。
3自分の安全地帯を保持し続ける

人は他人に対して何か悪いことをしてしまった場合、それがよくないことであるということは本人が一番よくわかっているのだと思います。

ですが、それを悪いことをしたなぁと思ってはいるものの、それでも優先していることがその人の尊厳を損なったことに対して何か悔い改める的なことをするよりも、どうすればいいだろう、どうするべきだろうと思いつつも、今の状況をキープしてしまうところがあるのではないかと思います。

その今現在キープされている態度というものは、おそらく過去における性的なちょっとした問題案件を心底よろしくなかったと反省して改めよう、と生き方を変える姿勢になっていない。
であれば、それは懺悔の方向に進みませんよね。
自分では悪いと思っているのに、懺悔はしませんという態度と。
自分でも悪いと思ったので心底、懺悔して生き方を変えていこうとする態度。
どちらが健全でしょうか。
人間は簡単に言えば自らを規制する戒めがなければ何をするかわからない存在でもあるのです。
だからこそ、社会や家庭のルールがあり、仏教でも戒や律という自分を制する戒めがあるのです。
ある故人が言っておられました。人は教育がなければ首輪をしていない犬とさほど変わらない、と。
(*´👄`)
よって、今後も今のお仕事を続けていくうえでも、きちんと区分けをして今やっていることは今の職務として公的にとらえて、反省すべきこと、懺悔すべきことを懺悔して、気持ちを切り替えて今の職務を通してかかわりあう人たちに喜んでいただけるようにつとめられたらよいでしょう。

2024年1月17日 0:15
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お忙しい中御回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ございません。
自分としては、これ以上無いほど苦しんで、相手に対して、ずっと謝罪と反省の意思はあるつもりでいましたが、和尚様にご指摘頂いた事で、自分の嫌悪する過去やそれに伴う感情から逃れたいということが第一に来てしまっていたと気づかせていただくことが出来ました。
後悔しているだけで、ずっと自分本位であったということだと思います。
この消してしまいたい過去は、この自分本位である自分を忘れないため、消してしまってはいけないものだと理解しました。
今後は懴悔という事を学び、少しでも良い影響を与えることができるよう、良い行いをしていきたいです。
その上で、今の職務を通してとおっしゃられていたことから、やはり介護やマッサージという仕事は避けるべきかと理解しました。(理解が間違っているでしょうか?申し訳ございません)

ご回答ありがとうございます。生き方をリセットしたいと思います。

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