私を迎えに来てくれる途中に亡くなった彼
私は1年半前に離婚。彼も離婚をして間もなく。今から1ヶ月前の12月に出会いました。短い間でしたが、お互いの家で過ごしたり、映画や買い物に出かけました。彼は仕事の休憩時間の合間に家まで会いに来てくれたり、彼の作ったご飯の写真に「おいしそう」と言うとタッパーにいれて「お昼ごはんに」と持って来てくれたり。こんな人がいるのかと思うほど何においても底なしに優しい方でした。亡くなってから詳しく知りましたが、彼のお母さん、叔父さん、妹さんにも私のことを話や写真で紹介をしてくれていたり、私が仕事の愚痴を少しこぼしただけで、彼の職場に求人が無いか上司に掛け合ってまでくれていたそうです。
私達が出会って日が浅いこと、彼が離婚してから時間があまり経っていないこともあり、彼がこの先の人生をどうしたいか(遊びに費やしたいか、色んな人と出会ってみたいか、それか安定した相手が必要か、など)決めるまではこの関係性には名前は必要ないと私は伝えていました。それでも私個人はとても幸せでした。
彼が亡くなったのは先週で、実家に帰っていた私を彼が車で迎えに来てくれる道中に単独の事故で亡くなりました。
迎えに行く、と申し出てくれたとき、なぜ私は断らなかったのか。仕事終わりで彼が疲れていることは分かっていたのに、私は「こんな私にもわざわざ迎えに来てくれる人が現れた」という自分本位な嬉しさに舞い上がって、疲れていないなら...と彼の言葉に甘えてしまいました。
彼が運ばれた病院で、お母さまに謝罪したとき「あなたは悪くない。神様が今日この日に彼を連れて行くと決めていた。離婚して塞ぎ込んでいた彼を最後の1ヶ月幸せにしてくれてありがとう」とまで言ってくださいました。(彼は外国籍の方で、ご家族もキリスト教の考えをお持ちです)
しかし私には、私が彼の運命をいじくってしまったようにしか今も考えられません。この考えが、たった1ヶ月知り合っただけの女である私にはおこがましいことでさえあることも分かっています。しかし彼の大事な人生を、お母様の大事な息子さんを、周りの皆さんの大事な彼の命を、たった1ヶ月知り合っただけの私の家に迎えに行くために失わせてしまった責任が私にあります。
運命とはどのように決まるのでしょうか。本当に彼の運命はあの日だったのでしょうか。答えの出ないことは重々承知しておりますが、どうか教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それでも自分を責めしまう あなたのそばに、いてあげたいと思う
お辛いですね…
あなたのせいじゃないとの言葉。そうかもしれないけれど…やっぱり あの日の行動がなければ、私との関わりが大きく人生を変えてしまったと、後悔はがりになってしまいますね。
だからこそ、ずっとずっと苦しいのではありませんか?
これからも、隣にいてほしかった。一緒に歩いていきたかった。彼は、それほどの人だったのですよね。
仏教では、最初から決まっていたと考える運命ではなく、因果といって 今の結果に至る原因があの時 起きたという事実を、しっかり見ていきましょうと伝えています。
彼のせいでも、あなたのせいでもなく、あの時、事故を引き起こす何かが起きたのでしょう。それは警察が明らかにするでしょうけれど。
答えがわかったとしても、この私の気持ちは、どうすればいいの?やり場のない想いをどこに持っていけばいいの?彼は今どうしているの? 会いたい。あの日に戻りたい。
あなたの想いは、複雑なことでしょうね…。
こうして、お話を聞かせていただくしかできないけれど、それでも自分を責めしまう あなたのそばに、いてあげたいと思うのです。
彼の話を聞かせてください。あなたが涙するなら、どうかひとりで泣かないで。私もいます。仏様もいてくださいます。そして、彼もあなたのそばにいるわ。
あなたが、こうして話してくださったから、私も彼の深い優しさに出会えました。
こちらから、彼を想って、手を合わせたいと思います。
いつでも、ハスノハを頼ってくださいね。
一緒に話しましょう。
彼を想っていきましょう。
質問者からのお礼
中田様
ご返信ありがとうございます。「こうして話してくださったから、私も彼の深い優しさに出会えました。 」と言っていただき、本当に嬉しい気持ちです。
おっしゃる通り、毎日毎日どうすれば出会う前に時間を戻せるか、どうしたらあの日に戻って迎えに来ないでと伝えて彼の死を回避できるか、本気で考えこんでは絶対に無理なことだとハッと気付いて苦しくなる毎日です。出会って1ヶ月の私でもこのような例えようのない苦しさを過ごしているのに、家族の皆さんはどんな思いをしているのか想像してみるけれど、私の想像もつかない苦痛があるんだということしか感じれないことが申し訳なく不甲斐無く苦しいです。
今週末、警察署で詳しく話を聞きに、私も同行させていただく予定です。そこでどんな原因を知らされようとも、迎えを断らなかった私の責任であるという気持ちは消えないと思います。むしろ、深くなると思います。
彼の性格なら私が責任を感じることを悲しく思うことは分かっています。優しい言葉をかけてくださったのに尚、「私の責任だ」と口にし続ける事が家族のみなさんに対して失礼な事だということも。けれど、この責任からは一生逃げるわけにはいかない、と相反する気持ちがずっと消えません。
頭がぐちゃぐちゃで、
自分を責めたり、自分を責めることすらおこがましいと自己嫌悪したり、もう会えないこと、家族のみなさんの気持ち、色々考えて苦しい気持ちで泣いてしまいます。正直、立ち直りたい・乗り越えたいという気持ちも自分本位な考えな気持ちがして持ちたくありません。
だけど私がこんな気持ちのままでは、彼が良いところに行けなくなってしまうかもしれない。それが何よりも1番嫌です。
今は気持ちの整理がつかないですが、いつかこの「因果」を冷静に受け止められる日がこれるように、彼を想って泣く時は良い思い出についてであるように、毎日頑張って生きます。
ご返信、本当にありがとうございました。