引き寄せと仏教の繋がり
引き寄せを信じている人から以下の話をしていました。
『畑は自分を信じる心、種は願い事、肥料は現状に満足出来る気持ち
いい状態の土(心)は、良い土(心)を作る事
良い土(心)の状態は自然体な状態で心が喜んでいる状態で、
その時々の気持ちに忠実になり自分が自分に寄り添ってあげる事
自分を好きで信じてるからこそ、他者を好きになれて信頼できて、人を許せるようになり、世界を愛せるようになる
世界を愛せるようになる頃には、自然に日常の幸せに気付いて感謝出来る心が自然に育っている
これが畑でいう肥料になる』
そして、
ブログを書いてるお坊さんも…
『仏道を歩む上で大事なのが、
最近よく耳にする【引き寄せの法則】
「思考が現実化する」「自分の心が現実を作る」
仏道を歩む上で大事なことは、「いい気分でいる」ということこそ大事で、
自分の「今その時の感情がとても大事」
この感情がまわりと共鳴して、
また、「嬉しい、楽しい、良かった」と思えることが起こってくる。
「投げかけたものが返ってくる」という引き寄せの法則そのもの。
たとえ念仏していても、気分や感情が不平、不満、愚痴等なら、それらを味わう現象が起こってくる。
だから、仏様を味方につけたのだから、
この娑婆世界、どうにも汚い世界かもしれないけど、この至らない私もそこで精一杯生きているし、生きていく。
その人生をやはり「幸せなもの」にしたいと願う。
だから、そのためにお念仏して、自分に起こり得る
全ての事を仏様にお任せして、
現世での起こる結果は、お任せした結果の「ギフト」と受け取り、最後は、死後、極楽へ往生させていただく。
その過程の中で、
自分の機嫌は自分でとって、いい気分でいる時間を増やす。
ネガティヴな思いが出てきたら、仏様にすべてを聞いてもらい、お任せをし「念仏瞑想」を実践していく。
そして、常に自分に与えられた現実の中から
「しあわせ、ありがたい、よかった、うれしい」と思える事を探して、今の現状を満足して感謝していれば
仏様ご先祖さまから更なるお導きが得られ、引き寄せられるようになってくる。』
仏教でも心は畑のようなお話はあるのでしょうか?
「心は畑」「マザーテレサ」の言葉も引き寄せに繋がっていると言っていまして、お坊さんまで引き寄せを話していましたが…
仏教と引き寄せは何か繋がっている部分があるのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
原因と縁と結果 を言い換えれば 引き寄せの法則ともいえる
(*´Д`)引き寄せの法則の「本質」とはなにかなぁ?と考えてみましょう。
単にそれをよく考える、そのことを定期的に思う、
そうするとそれに関連することが心内でよく見出されるようになる。
そういうことの習慣性というだけではないでしょうか?
人はあること「A」を求めるとそのこと「A」に敏感になる。
そのこと「A」に関連することを求めるようになる。
自分が求めていること「A」と結びつけるようになる。
たとえば、口にする言葉がいつも否定的、消極的、ネガティブだと、それが習慣づいてそれが単にネガティブ思考になるというだけです。
親がそうであれば子供にも伝わる。あるいは、親がそうであるからこそ、子供がそうならないようにしようとする。
よって、その法則を知って上手に用いることができれば、それが賢く生きるための生活習慣になるよ、ということです。
人は人の内側にそういう力があってもそれに気づかない。
だから、そういうことをノウハウとして身に着けて上手に用いれるようになれば良いというだけでしょう。
ポジティブなことを思う生活習慣があれば快活にあるというだけです。
善悪を思わず、良し悪し、是非、好き嫌いを生じさせないようにしようと志せばそれにそまらなくなる生活習慣ができる。
引き寄せの法則ということをよーく学んで、ああ、人間は内なるそれを求めるアンテナ、センサーが起動すれば、身心のはたらきとして求めるものに良く反応するようになって、求めることが近しくなるのか、と上手に引き寄せの法則も用いられるようになる。
よって、どんなノウハウもどんなスキルも上手に用いればよいのでしょう。
ただし、仏教・禅では別に引き寄せの法則やポジティブシンキングを積極的に用いましょうとは言ってません。よって関係はありません。
そもそもがアファメーションや前向きワード、言葉の意味付けということ自体が本当は不自然なことだからではないでしょうか。別に悪いことではありませんし、悪く考える人には前向き思考は良いことでしょう。
ですが、事実を事実の通りに見られる姿勢ということの方が人間は安楽なのです。
毎回不幸が起こるたびに無理にプラスに考えるということよりも、その事実をその事実としてその通りにみる、うけとめる、うけながす、見届ける、静かにおもんぱかるということこそが、人間生きていくうえで一番優れた力なのではないでしょうか?
アーラヤ識
仏教の中に唯識思想という考え方があり、唯識思想では、全ての現象は心が造り出しており、心の奥のアーラヤ識(阿頼耶識)と呼ばれる深層心理があると考えます。
私達の思考や行い(カルマ)は、アーラヤ識の土壌(畑)に落ちた(植えられた)種子のようなもの。
たとえば、善い行いをしたらそのカルマも種となる。
ただし、種がすぐに芽を出すとは限らないので、輪廻転生を繰り返す中で、はるか昔の善悪のカルマが、予想外の形で現在に結果を出す(識転変)場合もあります。
あと、アーラヤ識の面白いところは、自分と他者がアーラヤ識でつながっている、つまり全ての生命が深層心理でつながっているという考え方です。
だとしたら、アーラヤ識の畑に良い種をまくことは、自分だけじゃなく、全ての生命の幸せに繋がるのかもしれません。
仏教の、自分がやった良い行いの功徳を他者に回し向けて供養するという考えも、自分のまいた善の種がアーラヤ識経由で他人にも影響すると考えれば、説明しやすいです。
質問者からのお礼
丹下覚元 様
回答ありがとうございます。
良い感情になる事を見つけ続けて、今ある物事に感謝していけばそれと同じ事が引き寄せられる。
ネガティブな感情が出てきたら「大丈夫だよ」と自分に寄り添って労り、自分を愛する事でネガティブな感情も消えていくと周りでは言っています。
確かに生活習慣みたいなものなのかもしれませんね…
引き寄せの法則を用いている達人の方達のお話を聞けば聞くほど、私の中では「何か違う、もっと大事な事があるはず。」
そのように感じてしまいますので、私は引き寄せの法則と仏教の教えと繋がりはないのでは?と疑問に思っていました。
良い感情になる事を見つけ習慣にしたり、どんなに自分に寄り添って、大丈夫だと嫌な自分を受け入れても私の場合は何故か悪い事続きになってしまいます。
「辛い、悲しい」等口にしてはいないのですが…
どん底の人生、底を底と思わず楽しむぞ!と思う気持ちの心底に何か溜まっているのか、「楽しめないよ」という気持ちが湧いてきてしまいます。
「事実を見届けて受け流す」という力を身につけたいと思います…(何年もかかっていますが)
願誉浄史様
回答ありがとうございます。
アーラヤ職、カルマ、輪廻転生等の言葉は聞いた事はありますが…その意味が私には難しくて誰かがその話をしている時は私は輪に入っていけません。
深層心理に良い種を蒔けば、他者や全ての生命の幸せに繋がるという事に関しては体験しています。
が、良い種を蒔いても自分に対しては中々返ってきてくれません、何十年も…
ですが、全ての生命の幸せの為に良い種を蒔き続けます。