親切にふるまうべきだと分かっているのに、行動は正反対
親切になれない自分に嫌気が差しています。
私は精神的な事情で、声を出して話すことが難しいことがあります。
その状況を打開するため、手話を始めました。
手話が通じる場所では、私は「雑談」を楽しむことができます。声を出さなくて良いし、筆談よりもずっとスムーズです。
少し前、いつも行く手話の場に、新しい人が入って来ました。
その人は声でも筆談や手真似でも自分から話すことがほとんどなく、表情も乏しくて、正直に言って、楽しむ気があるのかどうか、傍目によく分かりません。
でも、その人の様子は、私が声を出して話せないときとほとんど同じなのです。
だから、その人が、思ったことや言いたいことをうまく表現できないだけで、決してやる気がないわけではないことは、よく分かります。
それなのに、私はその人に、親切にすることができません。
頭では、筆談でゆっくり対応してあげなくてはならないとか、自分が同じ状況のときはこまめに話しかけてもらったほうが嬉しいからそうするべきだとか、思っています。
でも実際には、筆談の文章が雑になってしまったり、話しかけるのを怠ったり、相手が分からないのを承知で素早く手話で話したり、不親切どころかいじわるのようなことまでしてしまいます。
私も最初は気遣ってもらったのだから、同じようにしなければならない。
私が話せないときに接してほしいように、その人に接してあげるべきだ。
頭では、とてもよく分かっています。でもなぜか、行動は正反対になってしまうのです。
どうしたら、そうすべきだと思うように、親切に気遣う行動ができるでしょうか。自分でも、どうしてそんな正反対の行動をとってしまうのか、分からないのです。
お知恵をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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情けは人の為ならず
あなたがその人に情けをかける、親切にすることは、回り回ってあなたに返ってきます。
情けは人の為ならず、といいますね。
反対に、あなたがその人に悪いことをしたら、回り回ってあなたに返ってきます。
あなた自身の為と思って親切にしてあげてください。