現在私が子供と同居し、妻が別の部屋を借りて別居中です。
経緯は妻と私の価値観が合わないことから共に暮らしていけない状況となり、様々な協議を経て今に至っております。
離婚することも視野に入りましたが、子供の環境維持を優先して離婚はしないことになりました。
当初は戸惑いもありましたが、何とか生活は慣れてきて今のままでも子供が成人ないしは大学卒業まで見ることは出来る希望は見えてきております。
一方、婚姻関係が続いている以上、妻に対する婚姻費用の義務が私にはあります。
仮に法的なルールに基づき子供の成人ないしは大学卒業まで婚姻関係を続けるとした場合、別居からその時点までの年数分婚姻費用を支払う義務に加え、財産分与の義務が生じ、ざっと見積もっても一千万を超えます。
現状ではこの先関係修復出来そうな見通しは無いため、
・将来仮定される負担が嫌なので、正直に切り出し金銭問題をハッキリさせるべきか
・別居に至った要因は自分にも多分にあるため、金銭問題を第一に夫婦関係を終わらせるのは極めて攻撃的な思考ではないか
の2つの思考が行ったり来たりしており、悩み続けています。
残りの人生を考えたとき、自分の楽しみも少しは味わいたい。
その為の全てではないにせよ、お金は1つの実現手段となる。
だがしかし、それを主張すること自体欲にまみれた攻撃的思考ではないか…
そんな思考がグルグル続いて気持ちを伝えられずにいます。
どちらに軸足を置くべきか、自分の良くない部分は何なのか、何かご助言頂ける所があればお力添え下さいませ。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お悩み、拝読致しました。心中お察し致します。しかし、悩み追い詰められると「自分の事ばかり」になってしまうのは人間の業ですね。ご相談の文章を見る限り、あなた様におかれましてもそのようになっておられるように見受けられました。2つの思考の間を行ったり来たりされているとのことですが、軸足を置くべきはそのどちらでもないと思います。ふたりの小さなお子さんを、おふたりの「今」と「未来」とを、第一に中心に据えて考えるべきではないでしょうか。あえて少々辛い事を申し上げますと、ご自身の心配事にばかり、まさに「心」を「配」ってしまうようなところは、ひょっとすると奥様からするといつまでも父親になりきれない人といったような印象になってしまうかもしれませんよ。
ご文章から理知的な方なのだと感じましたので、その持ち前の知性や理性を、ぜひ「お子さんたちを基点とした」発想から発揮して頂きたいなと思いました。そうした頼もしい姿、温かな行動の積み重ねが、柔らかな陽光のごとくはたらき、ご夫婦の間を阻む冷たく固まってしまった氷壁をも自ずから少しずつ少しずつ溶かしていってくれるのではないかなとも思われるのでございます。
諸行は無常、この世に変わらぬものは一切もございません。どのような変化をつくっていくのかは、まさに一家の大黒柱である、あなた様次第でありましょう。本当に心を配るべきものにこそ、お心を配ってくださいませ。人間、どれほど考えを巡らせましても、出来る事しか出来ません。どうか、ご自身のなすべき事をなしてください。
そわか合掌