hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

妻に自分の気持ちを言えません

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

現在私が子供と同居し、妻が別の部屋を借りて別居中です。
 
経緯は妻と私の価値観が合わないことから共に暮らしていけない状況となり、様々な協議を経て今に至っております。
離婚することも視野に入りましたが、子供の環境維持を優先して離婚はしないことになりました。
 
当初は戸惑いもありましたが、何とか生活は慣れてきて今のままでも子供が成人ないしは大学卒業まで見ることは出来る希望は見えてきております。
 
一方、婚姻関係が続いている以上、妻に対する婚姻費用の義務が私にはあります。
仮に法的なルールに基づき子供の成人ないしは大学卒業まで婚姻関係を続けるとした場合、別居からその時点までの年数分婚姻費用を支払う義務に加え、財産分与の義務が生じ、ざっと見積もっても一千万を超えます。
 
現状ではこの先関係修復出来そうな見通しは無いため、
・将来仮定される負担が嫌なので、正直に切り出し金銭問題をハッキリさせるべきか
・別居に至った要因は自分にも多分にあるため、金銭問題を第一に夫婦関係を終わらせるのは極めて攻撃的な思考ではないか
の2つの思考が行ったり来たりしており、悩み続けています。

残りの人生を考えたとき、自分の楽しみも少しは味わいたい。
その為の全てではないにせよ、お金は1つの実現手段となる。
だがしかし、それを主張すること自体欲にまみれた攻撃的思考ではないか…
 
そんな思考がグルグル続いて気持ちを伝えられずにいます。
 
どちらに軸足を置くべきか、自分の良くない部分は何なのか、何かご助言頂ける所があればお力添え下さいませ。

2024年3月7日 19:06
この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どちらも解ではないからこそ堂々巡りしてしまうのでは。

お悩み、拝読致しました。心中お察し致します。しかし、悩み追い詰められると「自分の事ばかり」になってしまうのは人間の業ですね。ご相談の文章を見る限り、あなた様におかれましてもそのようになっておられるように見受けられました。2つの思考の間を行ったり来たりされているとのことですが、軸足を置くべきはそのどちらでもないと思います。ふたりの小さなお子さんを、おふたりの「今」と「未来」とを、第一に中心に据えて考えるべきではないでしょうか。あえて少々辛い事を申し上げますと、ご自身の心配事にばかり、まさに「心」を「配」ってしまうようなところは、ひょっとすると奥様からするといつまでも父親になりきれない人といったような印象になってしまうかもしれませんよ。
ご文章から理知的な方なのだと感じましたので、その持ち前の知性や理性を、ぜひ「お子さんたちを基点とした」発想から発揮して頂きたいなと思いました。そうした頼もしい姿、温かな行動の積み重ねが、柔らかな陽光のごとくはたらき、ご夫婦の間を阻む冷たく固まってしまった氷壁をも自ずから少しずつ少しずつ溶かしていってくれるのではないかなとも思われるのでございます。
諸行は無常、この世に変わらぬものは一切もございません。どのような変化をつくっていくのかは、まさに一家の大黒柱である、あなた様次第でありましょう。本当に心を配るべきものにこそ、お心を配ってくださいませ。人間、どれほど考えを巡らせましても、出来る事しか出来ません。どうか、ご自身のなすべき事をなしてください。

そわか合掌

2024年3月8日 8:56
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
「抜苦与楽こそ“お坊さん”の仕事」  これは拙僧のささやかな信条です。 現在は、横浜の片隅にて、 静かに坐る瞑想と対話の場「そわかの縁側」をひらいています。 仏道修行という旅のなかで味わってきたことを、 ご縁ある方たちと分かち合いながら、 それぞれの歩みが少しでも軽やかになることを願っています。  つまらぬ正論や、きれいごとだけの言葉は申しません。 人はそれぞれのご事情のなかで、生きています。 だからこそ、まずは「素(そ)のまま」を大切に。 そうして静かにほどけひらいていくお姿に寄り添えられたら、拙僧としましてはこの上もありません。 — ・僧籍は静岡のお寺 ・横浜にて「そわかの縁側」を主宰 ・サッカー好きな息子の父 ・家族の鬱を共に乗り越えた経験あり — ご相談はどのようなことでも構いません。 八方塞がりのように感じるときほど、 案外そこに道の入口はあるものですから。 そわか合掌
どのようなお悩みでも、安心して打ち明けていただいて大丈夫です。 つまらぬ正論や、説教めいたきれいごとばかりを申し上げることはいたしません。 人がどのように理屈を重ねようとも、物事はただ「あるがまま」にあります。 いま、八方塞がりのように感じている方。 藁にもすがる思いでここに辿り着かれた方。 仏法に、そっと触れてみたいと感じている方。 どうぞ、あなたの歩みのままでお話しください。 その苦しみのなかに、 実は何かがすでに働いていることに、 ふと気づかれる瞬間があるかもしれませんよ。 そわか合掌

質問者からのお礼

先般は丁寧なご回答ありがとうございました。
頂いたお言葉を基に考え、自分の利得より子どもの今と未来に足る形こそ取るべき選択と至りました。
ただ質問時から暫く経ちまた立ち戻ってしまっているところがありましたので、改めて相談をさせて頂ければと思います。

追加のご相談です。

先のお礼にも記載させて頂きました通り子供を起点とした考えに至れたものの、その矢先に妻の不貞を疑うような行動が見られました。
実際に調査を行ったものの確たる証拠は得られず、また別居中のためこれ以上の傾向を掴めないでいます。

また子育てにかかる負担も相まり、妻に対する恨みの感情は一層高まっています。
・不審な行動を見せてくる恨み
・日々の負担を妻に被せようとしてしまう恨み
・妻が出ていったことに対する恨み
など…
結局私は妻に対する恨みに囚われ、もしかしたら事実をも曲解しているのかもしれません。

この様な状況下ですから、冒頭決めた子供たちの向き合い方も揺らいでいます。
気分は落ち込み、妻への疑念も収まらず、結果として暗くなったり不機嫌になる親の姿を子供たちに見せてしまっています。

結局今の状況を抜け出したく、再び夫婦関係を終わらせるべきかどうかというところに立ち戻ってきています。
子供のための選択は分かっている、だがその選択をすると自身が壊れてしまいそうな気持ちになる…
この様な場合であっても、子のための選択こそが第一に置くべきものなのでしょうか。

煩悩スッキリコラムまとめ