夫の死 心が平穏になる時がきますか
夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。
子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。
夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。
夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。
夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。
こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。
私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。
他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。
数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。
1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心が平穏である時間は今日もある
身内が亡くなったり、慣れていない事件が起きるとふわふわした感じがしますよね。
ただ、仏教では、心は無常であると考えます。
私達の心、思考や感情や気分(体調も)は、瞬間瞬間に浮かんでは消えてゆき、瞬間ごとに新しい心、新しい自分に変化しています。
たとえば、どんな悲しい日でも、トイレでトイレットペーパーを巻いて切り取る瞬間は、心は手先指先の作業に集中して、悲しい出来事を忘れているのです。
その瞬間は、実は感情が落ち着いている平穏な心が生じている。
しかし、トイレから出たときに悲しい出来事についての妄想雑念が意識のスクリーンに再上映されると、感情や気分が再び乱れる。
つまり、心の平穏というのは遠い将来のものではなく、実は、今日、今この時にも、妄想雑念や感情のすき間に現れているものなのです。
そのように心の平穏が出現する機会は、歌を口ずさみながら食器を洗う時かもしれないし、誰かと冗談を言っている時かもしれないし、仕事の段取りや刑事ドラマの犯人について考察している瞬間かもしれない。
また、瞑想で呼吸に集中したり、南無阿弥陀仏と念仏を唱える瞬間かもしれません。
雲は月を一時的に隠せても、月を壊せない。雲が過ぎ去れば月は静かに輝いている。
怒りや悲しみを伴う妄想雑念も、心のスクリーンを汚せない。
妄想雑念の映画が過ぎ去れば、心は真っ白なスクリーン。
そして、妄想雑念の映画はよく見るとけっこう点滅していて、すき間(消えている瞬間)がある。
それに気付いて今の1秒間を生きられれば、きっと次の1秒も生きられます。
たとえ悲しみの雲が1秒間流れても、それは月を壊せないのだから。
長文になりましたが、仏様の慈悲があなたを見捨てないように、心の平穏もあなたから離れはしないと安心して、遠い将来ではなく1秒後の未来に立ち向かいましょう。
質問者からのお礼
心の平穏ほ日々の瞬間にあると認識が変わりました。大切な子供たちがこの世にいる幸せを感じながら、生活していきます。ありがたいお言葉をいただきました。