過去を恥だと考えてしまいます。
はじめまして。
大学四年生の女性です。
私には中学生からの夢があります。
それは音楽を支えること、音響監督になることです。
その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。
ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。
私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。
自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。
食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。
もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。
自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。
でも、得たものはたくさんあります。
趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。
そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。
後悔はしていません。
今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。
この選択は恥ずべきものではないと思っています。
でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。
夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。
昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。
最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。
相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。
もう二度とそんなことはしたくありません。
素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。
弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。
でも、それが怖いのです。
どうすれば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変わらず夢を追いかけてください
ぺぽこ 様 相談ありがとうございます。
過去を恥じてしまう感情は、あなたのせいではありません。
安心してください。
誰でも、そのような感情に入るのです。
さらに、他人に責められるように「それは何?なぜ叶えずにいるの?」
と指摘されれば、過去の出来事がフラッシュバックのように蘇り
脳内の脅威が増大し、恥の感情が覆います。自己嫌悪にも陥るかもしれません。
でもこれは、脳が自動運転のように、恥や脅威を増幅して、「怖い」と思わせているのです。脅威を受けた脳の習性のようなものです。
脅威を受けた脳の反応を穏やかにするには、まずは心を落ち着かせることです。
ゆったりとゆっくりとした深い呼吸を何度も繰り返し、ただのそのままに呼吸に意識を向けて、善悪の判断せず批判せず、ただ自分の今の状態を眺めるようにしましょう。嫌な思いが出てきたら、テレビのCMを見て流すように、ただ穏やかに追いやって、また呼吸に意識を戻してください。こうして呼吸に意識を向けるマインドフルネス瞑想などで、恥や怖いという感情の対処法に慣れてくると、段々と、他人の批判や評価を気にすることなく夢に向かって進んでいいと思うようになるでしょう。
夢を追いかけるのは大切なことです。素晴らしいと思います。
どんなに宇宙が広くても、その場所、その瞬間に、そこで息をしてその夢を追いかけるのは、あなたしかいません。あなたは貴重な存在です。
「あなたが幸せになりますように。あなたの悩み苦しみが無なくなりますように。あなたに喜びが溢れますように。あなたに平穏が訪れますように」と慈しみの心を送りますので、変わらず夢を追いかけてください。辛い時はいつでもご相談ください。一礼。