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自分が分からないです

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私は昔から特に興味のないことには執着しないので、興味のないことについて選択をしなければならないときには周りに合わせてきました。本当にどちらでもいいと思っているのでそれならば周りが喜ぶ方を選ぼうと考えるからです。気を使っていると思われたくもないので、あくまで自分がやりたいから選んだというふりをしながらです。おかげで人と争うことも少なかったと思います。

しかし最近、自分がやりたいことなのか、やりたいというふりをしているのかが自分でも分からないです。自分がやりたいのだと思っていたことが、突然我に帰るようにして周りに合わせていただけだと気がつくこともありました。自分が演技をしているのか、本当にそう考えているののかが分からないのです。

一度自分の考えが思い込みだったと気がついてから自分のことが信じられなくなっています。今自分が考えていることは本当に本心なのでしょうか?
自分が好きだと思っている人のことを本当に好きなのでしょうか?

酸っぱい葡萄の説話がありますが、自分ではそれが本心であると思い込んでおり、本当の心に気がつきません。今の自分がそうでないと何故言い切れるのですか?
自分とは何なのでしょうか、また他の人はどうして自分の考えに自信を持てるのでしょうか?

教えていただけたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これに限るという正解は人生にありませんね

あなたの問いは極めてまっとうですね。人間はとつおいつ考えながら,時々の自己判断にしたがって対応しているというのが実態ではありませんか。
難しく考えるほど結論から遠のいていくものです。
哲学におけるアポリアなどともいうのですが、自己が分裂して悩んだり虚無にとらわれてしまうものではないでしょうか。
言い切ってしまうように見えていても、違う立場から見れば反駁も反論もできることでしょう。
単純化した原理にしたがって納得できるのは、単細胞な人間です。
ことわざめいた箴言などを壁に貼り付けて、それに感心しながら納得できるほど、考える人間にとっては単純ではないと思います。
自信などという嫌らしいものは持たなくても結構です。
悩みつつ生きて感じてください。
生涯の課題です。そういう悩みも持たないで生きてきた大人たちが、救いがたい世のなかを作りだしてきたんじゃないかな。
自分とはなにかを自分で見極めた人は滅多にいないと思います。
自分で考えることを大切にして、悩みつつ生きていったらいいと愚僧は思う次第です。

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