この人のもとで学ぶ事への不安
初めてこちらにて相談をさせていただきます。
私は今月から、ヨガインストラクターの養成講座を受講します。
そのスタジオは長年養成講座を行なっており、講座の説明や見学、普段のレッスンも受け、レベルの高さやスタジオに通う方々の人柄にも触れ、ここなら大丈夫だと受講を決めました。
しばらくして、先生方と一緒にヨガ哲学を交えながらみんなで悩み相談や雑談を楽しむ企画が始まり、私も参加しました。
そこではいろんな方の話を聴く事ができ、先生方の受け答えの内容に時には心震え、涙しました。
しかし先日、その企画に再度参加した時の先生方の返答や考えに違和感を覚えました。
ヨガ哲学や食生活に合わせて出てきた言葉が、行きすぎた反ワクチンの考え方や添加物は絶対悪といったもの。
さらには○○社や××社は裏で武器を作って利益を出しているから、そこの商品を買う事は戦争に加担している。ワクチンは人口削減の意味があるし、金儲けの為にワクチン接種の決まりを作り、真実がバレると誰も打たなくなるから情報規制をしている人がいる。
Qアノンなど陰謀論を語る人には有名な単語も出てきて、「私達は真実を知っている。だからこそ見本となり、間違った現代の日本を変えていきましょう」と熱く先生が語り、皆がうんうんと頷いたあの空気に今でも恐怖を感じます。
もしかしたら先生の言葉の中に真実もあるのかもしれません。
ですが普段聞き慣れない単語、怪しいかもと思えるようなものを半ば押し付けるように語り、自分が知るものを知らない周囲を見下し、自分達が正しいと断言…まるで洗脳でもするかのような言動をした先生方を目の当たりにした事で一気に恐怖心が芽生えてしまいました。
怪しい宗教を目の当たりにしたような恐怖や不安、嫌悪感は日に日に強くなります。
長くなりましたが、タイトルにもあるようにこのような不安や嫌悪感を覚えたまま本当にこの人のもとで学んでいいのでしょうか?
今の自分がなくなりそうで怖いです。かといって安定を求めるのは退行でもある、と先生は言っていました。その言葉には概ね同意出来ます。
ですがあの時の先生のような思想や言動で自分や家族、応援してくれる人を傷つけたり、振り回したくないです。
どうか、ご意見をよろしくお願いします。
色々と悩み、迷いながら自分なりに頑張って生きてきました。 視野を広く、思考は深く、様々な視点から物事を見られる人間でありたいです。
迷いや不安から時に深刻な程悩み、酷い時には死を考える事もあります。 自分の考えや選択には必ず疑いの気持ちを持ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ヨーガの本来の目的
よぬ 様 相談ありがとうございます。
別の視点からですが、ヨーガの本来の目的は何でしょうか?
ヨガ哲学の話もしているようですから、御存知と思いますが、『ヨーガスートラ』第2偈に出てくる、「チッタ・ブルッディ・ニローダ」という句で、意味は「心の働きを抑えること」と謳っております。そして、この為に八支則があるという構造かと記憶しております。雑駁ですいません。
さて、このことを念頭おいて、よぬ様が受講しようとしているヨガインストラクターの養成講座は、はたしてヨーガの本来の目的の理に適っているのでしょうか?
私には疑問です。
あくまで私の意見ですが、
一度間をおいて、基本書の『ヨーガスートラ』の解説書などをお読みになり、伝統的なヨーガの会と比較してから、受講されるかどうか判断されるのが宜しいかと思います。
お薦め書は、かなり古くて読みにくいかもしれません、古本屋しかないかもしれませんが、佐保田鶴治著『解説 ヨーガ・スートラ』(平河出版社)です。
そして、ヨーガは万能ではないこともお伝えしておきます。
ヨーガをしても病気になりますし、やがて死は訪れます。
仏教でもいう、老病死の苦しみはやってくるのです。
心を落ち着けてそれらを受け入れ充実したこれからがおくれるのか?
そのことをよくお考えになって判断していただければ宜しいかと思います。
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。いろいろとお考えがあると思いますが、自分をしっかり保って流されないようにご判断くださいませ。
もし危うさを感じるようなら、一歩引くということを心がけて対応してくださいね。またご機会がありましたら、どうぞ遠慮なくご相談ください。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
私なら
ご質問拝見させて頂きました。
私なら、というご回答をさせて頂きますね。私が同じ立場でその場にいた場合、辞めることも検討するかと思います。やはり恐怖感はこの場にいられないと感じること。正しいかどうかではなく、家族などに影響がありそうな話題なら尚更考えてしまうところです。このあたりは、ご家族とご相談されるのがよろしいかと思います。
ただ、ヨガのインストラクター養成講座ということですから、将来的にはご自分のスタジオなどで先生という立場になられればご縁も離れるのではないでしょうか?一時の事として流されない、ということを前提に最後まで資格取得されるという選択肢もあると思います。変な話と感じる部分以外は普通だったのですからその部分だけを組み取ることも可能でしょうから、そのあたりの選択はよぬさん次第かなと思いました。 合掌
それを学びとしてさらにより良い道・活路を見出して進む
これは私は仏教界で感じた💀闇の部分から学んだ私個人の考えです。
結論を先に申し上げます。
ヨーガ、仏教、禅を学ぶ場合でも、単にそれだけでは不十分です。なぜなら、世の中には信じられないほどたくさんの曖昧な信念や組織に影響される人が多いからです。人生はヨーガ(仏教)だけ学んでも、他の面でわきが甘ければ別分野で騙される。だからいろんなことをいろんな角度で学んでより良い方向を目指すということが大事です。だからあなたの観点は正しい。何を学ぶかではなく、そこから何を見出し、どうより良い方向に向かうか?こそが大事だからです。
せっかく良いことを学んでも、オプションで変な思想にカブレたり、営利に走ったり、世間の情報を鵜呑みにしたり、本道・王道から外れてしまう人々が大半ではないでしょうか?もはや表向きの看板は釣りです。
たとえば仏教、ヨガを学んだ。でも騙されやすい、詐欺に引っかかる、家族を守れない、ではダメですよね。私が信徒の立場だったら菩提寺の住職さん大丈夫かなぁ?と思います。
仏教業界も声の大きな圧に屈してそっちに心理誘導させられてしまったケースもあります。純粋無垢過ぎる仏教徒も狡猾な悪意に潰される。人はこの世の中と関わっている以上、政治や経済、世間に飛び交う情報の波と関わらないわけにはいきません。もちろん、陰謀論や変な思想には要注意です。あるいは陰謀論だ陰謀論だで権力者が知られたくない情報を隠すために国民や大衆を同じレベルにキープさせるようなトリックも現実にあります。近隣の某国では国にとって悪い本当の事を吹聴しようもんなら投獄・監禁・刑に処されます。日本人もあまりにも平和ボケなおぼっちゃまお嬢ちゃま過ぎるのもどうかなぁと思います。
さて、その方がそういう怪しい話をしてそれに頷く人たちに「どうなってほしい」「どうしたい」のか?そこを見抜く。その真意は問われるべきでしょう。そこをよく観て、聴いて、判断すればよいだけの話だと思います。
「衆知を集める」
これは松下政経塾の塾の訓示の一つです。
広く情報を集めて、その中から何を学ぶか。何を見出すか。そこからより良い方向を目指すのが人間として正しい感性・観点でしょう。
「法門は無量なれど学ぶことを誓願す」
人生には様々な事象、出来事、情報が存在しますから、自己をより豊かに開発せしめる「ように」学びとなすことこそが真の学びというものです。
質問者からのお礼
些細様
早々のお返事、ありがとうございます。
「正しいかどうかではなく家族に影響がありそうな話題なら」、その言葉にハッとさせられました。
あれから家族と話し合い、私を応援してくれていた事への感謝だけでなく、本気で心配をしてくれているありがたさにも気付き、そんな人達に恩を仇で返すような真似はしたくないと思った次第です。
近々養成講座が始まりますが、その際に疑問に思った点、不安に思っている事を講師と話し合い、その上で講師として尊敬する事はできないと思う事になったら離れようかと思います。
お陰様で今後どのように考え、動くべきか明確になりました。
ご助言いただき、本当にありがとうございます。またご縁がありましたら、その時は是非よろしくお願いします。
釋 孝修様
ヨーガ本来の目的を問う回答、大変参考になりました。
お薦め書の情報もありがとうございます。幸いにも近々読める事になりましたので、大切にじっくりと向き合って読み進めて参ります。
「ヨーガ本来の目的の理に適っているのか?」
ヨーガについて私は素人ですが、とても考えさせられるお言葉だと感じました。
近々講師とお話をさせていただく際に、こちらについてより詳しくお尋ねしようかと思います。
講師の思想とヨーガ本来の目的、そこに自分が納得出来る理由や考えがあるのか、それらを踏まえて今後を考えようかと思います。
ご助言いただき、本当にありがとうございました。またご縁がありましたら、その時は是非よろしくお願いします。
丹下 覚元様
お返事が遅くなり申し訳ありません。そして丁寧な回答をありがとうございました。
「衆知を集める」、大変勉強になりました。
私もこの訓示を忘れずに今後の人生、さまざまな視点、意見に触れながら、自分の頭でしっかりと考えて良い方へと向かえるよう学び続けていきたいと思います。
「法門は無量なれど学ぶことを誓願す」、こちらも大変参考になりました。とても素敵な言葉ですね。
この言葉について調べ、考えているうちに学び続けられる事のありがたさが、ふと心に浮かびました。
そのように思えたのも、こうして丹下覚元様をはじめ、多くのお坊さんから意見をいただけた事、そこから新たな学びも学ぶ機会さえも与えていただけたおかげなのだと思います。
本当にありがたい限りです。
この度はご助言いただき、誠にありがとうございました。またご縁がありましたら、その時は是非よろしくお願いします。