阿弥陀様に懺悔や祈りをしてはいけないのか
いろいろな出来事があって、浄土真宗の本(一般書ですが多数)を2年程度読んでいます。癒されるためには懺悔や祈りはとても大切だと思うのですが、どの本を読んでも阿弥陀様はすでに私たちを助けているため懺悔も祈りもしてはならないような解釈がされています。
私にとって叶わないとしても祈りや懺悔は心を安定させるためにも重要で、最近キリスト教会へ行ってみましたが、やはりご先祖様から続く浄土真宗の門徒でいたい思いもあります。
現状でもう救われているでは諦めのような心境になります。祈りも叶わなければそれが仏様の願いであればよいのですが、祈る必要もないと言われると複雑な心境となります。
私の解釈は間違っているのでしょうか。よろしくお願いいたします。
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全てしてください
ご質問拝見させて頂きました。おっしゃることは少なからず間違ってはいませんが、懺悔をしてはならない、という話にはなっておりません。どちらかというとしないよりはした方がいいと思います。それありきでお救い頂くのであり犯罪を犯しまくってよいということは言っておりませんので、罪との向き合い方は大切ですね。多分どの本にも共通して感謝の気持ちを~という文面があるのではないでしょうか。日々の生活、後生に対する感謝の気持ちを持って生活して頂きたいと思うのです。 合掌
質問者からのお礼
些細 様
ご回答をいただきありがとうございます。
件名が「全てしてください」ですので、祈りも問題にはならないと理解しました。書籍には反省も次に自分を満足させるためのものであれば欲になる記載も多く、理解を深めようとすると難しいです。当たり前のことに感謝することはとても大切なことと思い努めるようにしていますが、悪いことが続くとなかなか感謝の毎日を過ごすことが難しく思っています。