応援する資格がもうない
こんにちは。
私はとあるアーティストが好きです。そのアーティストについて呟いたりファン同士で交流する用のツイッターがあります。
私は所謂同担拒否の方が苦手です。自分の存在が否定されているような気がするのです。そのアーティスト自身も同担拒否について苦手意識を持っています。その方の歌声に惹かれて応援し始めたのは事実ですが自分と同じ考えを持っていることにも安心できたため応援をしていました。また「あくまで自分は恋愛感情を抱かせる売り方はしていない。恋愛対象とするのであれば別のアーティストを探してください」と公言している程です。
数年前のことです。私はツイッターでたまたまアーティストの同担拒否の方を見かけてしまいました。またその方はアーティストに対して恋愛感情を抱いているといったツイートも本人に直接発信していました。
私は怒りと同時に動揺もしてしまいました。私の存在が否定された、アーティスト自身が公言したことも無視しているとそう感じてしまいました。
またその同担拒否の方は友達募集のツイートもしており「同担需要ない」といった文言も含まれていました。
そして私はとある掲示板にアクセスしました。ファンがマナーの悪いファンを批判しているような正直に言うと雰囲気の悪い掲示板です。そこの掲示板では既にその同担拒否の方が取り上げられており「恋愛対象とするなら別のアーティストを探せって公言されてるのにありえない」「アーティストに対しての返信もかなり失礼」と書かれていました。私は何を思ったのかそれに便乗してしまいました。「〇〇って奴のタグ(友達募集のツイートのこと)が不快。お前の方が需要ない」と書き込んでしまいました。ですが私の書き込みを気に留める人はおらず、そのまま別の方の批判で流れて行きました。当時の私は発散ができればよくそれ以上書き込むことはありませんでした。
ですが数年経った今ふと思い出し罪悪感に苛まれています。書き込んだのはその一回だけでしかも私の書き込みを気に留めていなくてまたその掲示板も書き込める上限に達し別のスレッドが作られている状態ですがここ最近ずっとそのことで頭がいっぱいです。私はもう応援する資格がないと感じています。お相手は今は同担拒否ではなくなっているようですがツイッターは非公開になっており内容は確認できませんでした。
私はこの罪悪感とどう向き合っていくべきでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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応援は継続するべき
ご質問拝見させて頂きました。推しへの強い愛情があなたに罪悪感をもたらせているのでしょうが、推しの人からしたらそんなあなたもファンであり、愛おしいはずです。
ですから応援は継続するべきと感じます。また、誹謗中傷の話をしますと人は時に過ちを犯しますし、これからも犯す可能性は否定できません。しかし、あなたは反省されて今後はされないと思います。後悔先に立たず、ですし、今後の人生にいかされてこそ意味があると思いますから、これを勉強、学びとしてより一層の推し活動を推進する次第です。 合掌
質問者からのお礼
些細さま
ありがとうございます。そう言っていただけて少し楽になりました。間違った正義感を振りかざしてしまったこと、とても反省しております。今後は学びにしていきます。
ありがとうございました。