後悔したり怖くなります
私は過去を思い出し後悔することや、そのことで地獄に落ちるのではないかと怖くなります。小中学生の頃、物がなくなったことや、私のお墓つくっていると又聞きしたり、人間関係について悩み考え方もひねくれていました。
小学生のときクラスメイトの文房具を盗って「親に買ってもらった」と嘘をつきました。
放課後の掃除用具点検があったとき、一つ学年が上の人たちと合流した際に言われるがまま、障がいのある子が追いついてこないように走ってしまいました。
中学生のとき、アルバイト先でお金を盗ったり、クラスメイトに私がバケツか何かを運ぶときに「いいよいいよ、先祖奴隷だから」と冗談として言ってしまいました。本当に思って言ったことじゃないですが、ご先祖様を侮辱する発言で自己防衛の形をとったことを後悔反省しています。
どれも面と向かって本人、ご先祖様にごめんなさいと謝罪をできていません。
連絡を取ることが困難な方もいます。
ご先祖様に謝罪をするのはお墓参りのときでも大丈夫なのでしょうか。(お墓参りのとき毎回謝るとしつこいですか?)
本当に後悔、反省しています。
今は成人しており、臆病で最低な自分から変わりたいと強く思っています。迷惑をかけないように努力をしていますがそれでもできた人になれなくて後悔、反省することがあります。
こんな私でも神様仏様は私を極楽浄土に導いてくださるのでしょうか。
どうすれば天国、極楽浄土へ行けますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫
おはようございます。
ご質問拝見しました。
真宗の教えはお釈迦さまや親鸞聖人になれという教えではありません。
もうやらないと思っても、色々な要因が重なってまたやってしまう。
大丈夫といわれても、自分が気になってしまい後悔や後めたさが消えない。
しょうがないです。
凡夫だもの。
臆病で最低な自分を変えることで極楽行きが決まるわけじゃないです。
それができていたら、たぶん、仏教も極楽もいらなくなってると思います。
変えるべきは習慣。
手を合わせる習慣を保る。
臆病で最低でもいいから、南無阿弥陀仏をいえるかどうかです。
健やかなるとき、病めるとき、
最高の時、最低の時、自分の判断であれこれ考えず、
ご飯食べるように、呼吸するように、なんまんだぶつ。
そこから、進む方向が変わると思いますよ。
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ありがとうございます。
阿弥陀様がいるところが西という設定はありますが、
西に阿弥陀様がいるわけでなく、阿弥陀様のいるところが西。という考えです。
方向を決めて手を合わせるというより、手を合わせた方向に阿弥陀差ががいる。
寝ころんだ時には上方世界、うつ伏せは下方世界。
たっぷり息を吸ってから、ゆっくり吐きながら
なむあみだぶつ、と3回または6回、ゆっくりとなえてください。
毎日のがんばり、おつかれさまです。
簡単に言いますと
拝見させて頂きました。大切なのは自分の過ちに気づいたら二度としないこと。つまり反省と今後にいかすことです。浄土へ導くのは仏様ですが、真宗的な考えではいかなる人も取捨選択することなく浄土に生まれるとされています。もちろん少しだけ条件がありますが。それはさておき、念仏をご存知でしょうか。念仏は南無阿弥陀仏です。南無と阿弥陀仏に分けることが出来ます。阿弥陀仏は阿弥陀という仏の名です。南無は言葉を超えた感謝の表現と思ってください。つまり合わせて「阿弥陀さま、ありがとう」と解釈出来ます。その感謝は浄土へ導いてくださることに対しての感謝の言葉になります。少なくとも私はこの南無阿弥陀仏を心より言う事が出来るようになればすくわれることは確定していると思っていますよ。ちなみにご先祖さんやお墓にして謝罪することに否定などはしませんが、出来れば感謝の場であってほしいです。上記の意味合いからも神頼みという言葉はありますが仏頼みという言葉は聞かないです。頼み事より感謝をお伝えください。合掌
追伸:時間、場所、一切問わず手を合わせることが出来ると思ってください。風呂、トイレでもどこでも、です。出来るなら西に向かれると良いかなとは思いますが、これも正直どこを見てもよいと思います。
質問者からのお礼
お忙しいところご回答くださりありがとうございます。
心に抱えていた息苦しさのようなものが軽くなりながら何度も読ませていただきました。
ひとつだけ質問なのですが、自宅にお仏壇や神棚がないのですがその場合は時間帯やどこに向かって手を念仏を唱えるとよい。ここはよくない。とかはありますか?
今日から習慣づけていきたいと思います。
本当にありがとうございます。
どこでも手を合わせていいのですね。これからの人生、仏様に何度でも手を合わさせていただきたいと思います。
お話を聞いてくださり、質問にも答えてくださりありがとうございました。心が救われました。