動物を虐待する人間はなぜ生きているのか
私は動物が好き過ぎるあまり、動物を虐待をする人間に対し、なぜこんなゴミみたいな奴が生きているのだろうと憤ってしまいます。情報メディアが発達し、今まで知り得なかった他の国や国内などのいろいろなことが知れるようになったのもあり、人間に虐待されている可哀想な犬や猫、動物たちのことがたくさん報道されるようになりました。その子達をみるとひどいことをされすぎていて心がビリビリにちぎらるようで本当に辛いです。
なぜ自分より小さいものや弱いものに当たり散らしてのうのうと生きているのでしょうか。そんな人間は正直生きていて欲しくないです。
本当にモヤモヤしてしまい、嫌な気分です。お坊さんのご意見を聞かせて欲しいです。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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基準が人それぞれだから
私はゴキブリやクモを家で見つけたら、ホウキとちりとりで捕獲し、窓から外へ逃がしています。
また、蚊もできるだけ殺さないで見逃すようにしています。ただし、お寺に来客があるときはさすがに蚊取り線香等を使います。
私が蚊を叩かず見逃していたら、それを見たある人が「なぜ殺さないのか」と不愉快になったことがありました。
一方で私はお坊さんですが、肉や魚を食べます。また、子供がカマキリを飼っていたときには、虫をカマキリのエサとして与えたこともあります。
人によって、何を可哀想と思い何を平気で虐待するかの基準は、実はバラバラなのです。
日本の法律では、犬猫を殺すのは虐待だけどネズミやゴキブリを殺すのはOKだし、魚釣りも基本的にはOKです。
見た目が可愛いペットは可哀想だけど多くの人はハエを可哀想と思わない。
よく考えたら不思議ですが、そのように、人それぞれの虐待の基準はバラバラなのではないでしょうか。
なお、野生動物も他の動物を虐待・虐殺することはあります。
たとえば猫のオスは自分の子供ではない子猫を皆殺しにする場合があります。子猫を失った母猫は再び発情するようになるので、オスは恋のチャンスを得られるからです。
人間も動物なので、そのような残虐性を宿しているのでしょう。
なお、仏教では、悟り(成仏)を目指して修行することで残虐性も減らしていけると考えます。
質問者からのお礼
ご意見を拝読させて頂きました。私自身、物事を一面からしか見ることができていなかったことに気付かされました。確かに、おっしゃる通り基準は様々ですね。
お忙しいところご対応下さりありがとうございました。