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お金なんて要らんと貫いた心回答受付中

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有り難し有り難し 6

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。
その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。
後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです
ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです!

話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。
先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

2024年7月3日 23:55

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたを心より応援してますね!

拝読させて頂きました。
素晴らしいお話しを教えて頂きありがとうございました。心より御礼申し上げます。
それぞれに生き方や精進していくことの大切さを学ばせて頂きました。
ぜひあなたもこれから人に施していける道をあなた自らの意志で、あなたにできることを最大限にがんばってご精進なさって下さいね。
あなたがこれからの未来自らご精進なさり人を助けていく道を歩んでいかれ、心から豊かに皆さんと幸せに満たされて分かち合いながら生き抜いていかれます様に切に神仏やご先祖様にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌

2024年7月4日 21:16
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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最低限の収入は必要

まずは雇われ指圧師として食べていけるような求人が世の中にあるのかどうか、確認しておきましょう。
その方が安心して挑戦できます。
最低限の生活費は必要ですからね。
お坊さんも多くは兼業しなければ食べていけません。

2024年7月4日 12:59
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

実際、資格の有無とは関係なく、食べていけない施術家もたくさんいるかと思います。先日もセミナーに参加した時、思うようにいかない参加者さんの想いもひしひし感じました。むしろ指圧で生活を、だなんてそんな上手くは運ばないだろうと、私自身もなかなか仕事として現実に描けないのが本音です。

ただおかげさまで、求人サイトからのスカウトは毎日のようにメッセージが来るのですが、現職で忙しく、今は転職活動まで積極的に考えていない旨お返しすると、さらに良い待遇で収入も高かったりします。施術職全体の不安定さや歩合・報酬型の経験もあるので、あまり期待はしていません。

私の場合は特に猪突猛進型で、指圧師だけしか頭になくなると、逆に視野が狭くなり、入ってみたらこんなはずでは…と盲点に苦しむことにもなるので、就職先もある程度、自分に合った働き方(開業する、治療院に勤める、訪問系に所属する、機能訓練指導員として介護施設に入る等)が、目星はついています。

もちろん入らないとわかりませんが、むしろ、生業としてそれだけをメインに考えるよりも、治療家は実力が本当にあれば自然と患者さんも増える実例が身近にいたり、応援してくださる仲間もいるので、自分の幅を広げる意味でも最初は副業ありきで考えています。

あとは本当に学校へ入るのみ…
それまでの間、先日も中医学の検定を受けたり、現役の治療家さんとの交流を通じて、マイペースに着実に楽しんで深めていきたいと思います。
ご縁があれば、サロンなどを開かれているお寺さんで、手技の奉仕ができたら…と思い描いています。
ありがとうございました。

応援のメッセージをありがとうございます。
とても嬉しく、励まされました。
実は、高条件・好待遇のスカウトは毎日のように来ます
ただ、どの会社からのスカウトも、採用を約束されたものではなく、トントン拍子にいくとは思っていません
むしろ前途多難、「自分に合ったステージ」を選ぶことのほうが、千載一遇の機縁だとも覚悟しています。
そして、もし仮に職につけたとしても、その後は安泰が約束されたとは限りません
卒業は産声に過ぎず、施術とは一つ一つが、蓋を開けてみないとわからない生物(なまもの)や水のような、もっと言うと空・無のように実体のないものだから…とも私には観じます

免許を取ってからが本当のスタートで、資格があるからテクニシャンだとか、誰もが上手いとは限らないと、耳にタコができるほど痛感させられます
実際に触れてその方が抱いた何かが、自分の成果であり、その積み重ねが永遠に続く…ただその経験を既に多少は積んだだけで、成績がパーフェクトでも人が喜ぶかは、何とも描けないものです

実際に現役で指導にあたる学会の知り合いは、学校で教わることなどは本当に基礎の基礎、僕らは一生努力し研鑽を重ねなければ、良き治療家として成長していけることが難しい、でも全力で応援しますよと、暖かい追い風もいただいています

一時期、私は施術職の一人でした。当時は、体と心が休みのトンネルを抜けて社会復帰の過程で、未経験からのスタートでしたが、すぐに指名一位になってしまい、スキルアップをしたく治療学へのめり込んだ次第です
毎週のように私の元へ施術を受けに来てくださった方の中には、医師家庭の方や経営者の方もいました。育ててくださった御恩は今でも忘れません。
まだまだその頃は人間としての器も、何もかも未熟でした。指名があっても人徳がなければ、完全歩合制の世界では施術者同士の世渡りは不可能でした。
長い時間がかかりましたが、昔はそれこそ仕事に困り人間関係に困り育児も家族関係も…今でこそhasunohaの自分の質問を遡れば、苦労や悩みの種が違うことに気づかされます。
当時はこんなことで悩んでいたんだ、と低迷のスパイラルを抜けた実感のある今ここ、があるのは、みなさんのおかげです。
お寺のお坊さんの姿を見習い、一意専心に人に尽くせば「最低限の収入を得られる」術は、育児と同時並行で身についたので、子どもが育った今度はその上を目指し、自己を社会に還元したい気持ちが一番です
私が指圧師の学校へ行くということは、今お呼びがかかっている仕事先を取捨選択することでもあり、先方が働き手を失う意味では私一人で答えは出せません。それもお互いに良い時期が来るのを仏様が見守ってくださると信じます。
私にとっての指圧は「生活のための手に職」ではなく、お寺で教わった大切なことを実践しなさいと、仏様が「これからのあなたには、その道がある」と声を届けてくださったようなものかもしれません
仏様は、初心に戻り学びが必要だ、人生はまだまだこれから、と明るく道を灯してくださっているような…日々信じて前へ歩みます。
指圧の学校の先生も、何年も待ってくれています。特に訪問系の高齢者の方は、若さより人生の苦労を経た年上を好むとか…何でも前向きに、楽しみます!
今後とも、よろしくお願いします。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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