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運命は変わるのか?

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有り難し有り難し 3

こんにちは。
現在、霊力がある、住職さんにお世話になっています。
護摩祈祷をしてもらっているのですが、護摩祈祷で人生は変わるのでしょうか?
そして、その住職さんに、将来は違う方と再婚しますと言われました。
今、復縁をしたいと願っている人と、将来も一緒にいることができるように運命は変わるのでしょうか?
もし、復縁しても、それは一時的なものですと言われています。
生涯一緒にいることはできないのでしょうか?
宜しくお願いします。

2024年7月11日 12:31

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

数奇な巡り合わせ

拝読させて頂きました。
そのお坊さんは先のことが見える力を持っているのですね。そのお坊さんのことやあなたやご縁ある方々のことは全くわからないので何とも言いようがないのですが、あなたそのように疑問におもわれるおきもちもとても分かるように感じます。お気持ちを心よりお察しします。
そのような運命というか定めはもしかしたらあるのかもしれません。とはいえども私たちは仏様でも神様でもありませんから明確にわかるかどうかはわかりません。
あなたの様々な出会いや別れも様々な巡り合わせやタイミングやご縁によってほんの少しでも時間や状況が変われば自ずと結果も大きく変わってくるでしょう。
ほんの少しでもずれれば出会うことのない方々が出会い、出会う運命の方々もすれ違ってしまうこともあるでしょうからね。或いは生涯一緒に居ようとした間柄でも感情的なことや価値観の違いでも合わなくなってしまうこともあるでしょうし、最初はなかなかなじめなかった方々も時間をかけてお互いのことを知り合っていく中で生涯をともにする関係に発展していくこともありますからね。
私たちの人生はとても不思議な数奇なものだと思います。
あなたがそのお坊さんのおっしゃることを信じることもありでしょうし、どうかと思うこともあるでしょうからね。
いずれにせよ私たちにははかり知ることのできない無限の様々な巡り合わせの中で私たちの人生や未来や出会いや別れは常に大きく変化し続けていくのです。
あなたがこれからの未来を本当に大切な方とのご縁に恵まれ、お互いを心から大切に思いやり幸せに生き抜いていかれますよう心よりお祈り申し上げます。至心合掌

2024年7月11日 16:48
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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アングリマーラの様になれますか?

お久しぶりです。 以前、アングリマーラに関する質問をしましたが今回もそれに関する質問をさせて頂きます。 自分は以前アングリマーラに嫉妬してましたが次第に憧れを抱く様になりました。 極悪人のレッテルを貼られて周囲からも相当、罵詈雑言を浴びせられたであろうアングリマーラはそんな困難も跳ね除けて仏様になられた。 そんな偉業とも言える事を成し遂げた人物の様に自分もなりたいと言う願望を抱いてます。 生半可な気持ちでは到底無理だと思いますが可能性が0でない以上は自分もアングリマーラの様に悟りを開いて立派な仏様になりたいです。 勿論、お坊さんでも悟りを開くのが困難なのに私の様な劣等種が無理なのは存じ上げております。 道のりは険しく長いですが私も光を纏った仏様になりたいです。 その為には先ず小さな周りへの気遣いだったりをベースに毎日を過ごしていこうと考えてます。 今は優しさを基本にしていき周りから注意を受けたらそこを直す努力をしたりする事の積み重ねが立派な仏様になる第一歩だと私は思っています。 今の私はとても心が汚れて徳もたいして積んでなく寧ろ悪い事の方が多い。そんな小物が簡単に思いつく様な事ですが、それでもアングリマーラの様になりたい。この気持ちだけは本物です。 長い文章を読んでいただきありがとうございました。 お坊さんの方々、私はアングリマーラの様に立派になれますでしょうか?

有り難し有り難し 2
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達磨大師は架空の人物ですか?

彼は「仏教をよく知らない中国人によって架空に作られた存在」または「達磨さん自体は実在したが、仏教をよく知らない中国人が適当なストーリーを考えただけ」と言われることがあって、「そうかもしれない」と思いました ・ なぜなら彼は悟りを開いたはずなのに、教えを請う凡夫に対して無視のいじめを行ったり、「これは試されているんだ」とポジティブに考えて耐え忍んだ凡夫に「仏教はそんなに簡単に教えてもらえるものじゃない、命をかけろ」と言って凡夫に腕を切り落とさせたりしました ・ とても悟りを開いた人の行為とは思えません。「自分はお前より偉いぞ、そう安安とは教えられない仏教を熟知しているぞ、自分をタダで師事できると思うな」なんていう態度は、「菩薩道」の精神から大きく逸脱していないでしょうか。知識の独占という時点で「利他」じゃなく「利己」だし、傲慢な振る舞いは「慈悲」じゃなくて「暴慢」です ・ それならむしろ、偉いお坊さんにいじめられてもくじけず「自分は試されているんだ」とポジティブに考えた凡夫こそまさしく仏に相応しいのではないかというトリックにさえなってしまっています ・ 彼がもし実在してストーリーも本当なら、彼のスタンスは間違いなく仏の教えを利他や慈悲などで解釈しないただの「知恵」でしかないとする(つまり悟りとは賢いかどうかだけで優しさなど必要ない)「小乗仏教」と批判される類のものだったことが伺えます。やはり、彼は架空のお話で色を付けられた、本来ならば謎多き存在でしょうか?

有り難し有り難し 1
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