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幸せとは何でしょうか

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有り難し有り難し 5

これまでに数回、特に妻との関係について相談させて頂きました。
相談を経て妻に対する向き合い方、こだわり、恨みの念などに対し、様々丁寧なご助言頂き、今は少しずつ囚われが外れていっている感覚があります。
 
そんな中、ここ最近改めて「幸せ」とは何かを考えるようになりました。
 
妻と私との関係に閉じれば、既に破綻している状態と言っても過言ではありません。
ただそれ以外に目を向ければ、
・自身の健康
・経済面(将来に幾つかの不安はありますが、困窮はしていない)
・親兄弟との関係
・仕事の人間関係、仕事のやりがい
・子供の健康、成長
といった所は問題なく日々過ごせているように思います。
 
これらについてある程度充実していると見たとき、私は実は幸せではないか?と思い始めました。
 
確かに妻との関係にひも付き、満たされないことはあります。
特に性欲面は顕著です。
様々不審に思い心が掻き乱される事象があったことから、その腹いせに危うく不貞に走りそうになったこともありました。(このサイトの様々な意見を見ていたこともあり、ギリギリで踏み止まれています)
また、前述の経済面は過去の質問にもあるように、別居中という婚姻関係によってこの先妻に対して課せられる義務に対する懸念は消えないままです。
 
それでも私が第一に据えている子供達の成長、日々の苦楽を共に出来ていることを踏まえれば、理想の姿・100点の姿ではないにせよ、0点ないしはマイナス点でもないように思います。
ただどうしても、文字通り我欲でしかないのですが、お金や性欲のことも少し良い方向に行ったら良いなという気持ちも消えません。
よく言われる「あなた自身の人生なんだから」という言葉を軸に考えると、未だに欲の方向に振り向いてしまいます。
 
改めて幸せとは何か、幾つかの不安・不満はあれど、それらも抱えたまま心の充実を迎えることは出来るのか、ここからどう自身の心に向き合っていけば良いのか、ご助言を頂けたら幸いです。

2024年7月11日 20:16

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

道の途中にも幸せはある

今この1秒間に肉体的な激痛等がないならそれで充分幸せです。
また、幸せは未来のゴールにのみあるのではなく、道の途中にもあります。
たとえば将来的に円満に離婚され、新しい恋人と出会った場合も幸せかもしれませんが、そのような大きなゴールではなく、洗濯物をきれいに干せたとか、ドラマが面白いとか、募金をして清々しい気分になったなど、道端の石ころみたいな小さな喜びも幸せですよね。
ですから、あなたは今もすでに幸せですが、だからと言って、自然な欲(将来への願望)を全否定する必要はありません。
妻とは、別居しているのだからお互い新しい恋人を作るのもOKにするかとか、恋人を子供に紹介することの可否等を協議しても良い時期かもしれません。
もちろん、仮に離婚しても子供にとっては両親なので、養育費や面会交流などは子供の権利として約束した方が良いですが、別居までしている妻と一生添い遂げる義務は無いと思います。
生きている限り苦しみ(宿題)はなくなりません。
ただ、瞬間ごとに苦しみの形が変わっていくだけ。
苦しみがあるのは普通なので、苦しみ(毎日の宿題)があっても不幸ではないと思いましょう。

2024年7月12日 5:22
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

親身なお言葉ありがとうございました。
痛みが無ければ幸せであること、苦しみ(毎日の宿題)は常にあるものを心に刻みたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ