元被虐待児です。トラウマでしんどいです。
幼稚園の親の来る行事で父親が他の人に対抗心を出して、私の首が曲がり、脳挫傷になりました。接骨院、整形外科に通い、首と頭蓋骨のズレをある程度、治し、その治療で顔が変化したので、美容整形で復元しました。ただ、事故直後に父親の後頭部をバールで強打したことで、かえって、悲しみが深くなっていて、しんどいです。父親からは強姦ではないですが、性虐待を記憶がない時から、日常的に繰り返し受けており、今でも、それで、情緒不安定です。頭の中でお寺で教えて貰ったお経を唱えたり、深呼吸したら、ある程度、落ち着くのですが、情緒不安定な時に人に誤解されたらいけないし、こういう時、どうしたら立ち直れますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死に方は選べないが、生き方は選べる。
拝読させていただきました。
よくぞ今まで踏ん張って来られましたね。
人生の過去を背負いながら誰よりも辛苦を抱えながら生き抜いて来られましたこと心中から称賛いたします。
全国、いや世界には数え切れないほど同じ類の悩みを抱えながら今を生きている人びとが存在しています。
コンゴ共和国でも目を逸らす事件が現在もニュース報道できないくらい地獄の中で生きている人びともおられるように、どのように心に抱える重圧を軽くしていくことが大切なのか。
一度、白いシャツに染み込んだ衣類などの汚れは簡単には取れず、真っ白になることはありません。しかし、これだけ断言できるのは"薄れていくことは絶対"です。
どのようにすれば薄れていくのか?
新しい経験を繰り返すたびに、新しい感覚知識が染み込んでいきます。そうすると、トラウマとなる記憶は遠ざかっていったり、薄れていきます。
ただ簡単でもなく、時間を要します。
仏教では「薫習(くんじゅう)」といい、何度も繰り返したことだけを記憶していくと説きます。
私たちは日々、勤行というお経を上げますが、ただ上げているだけでは全くといってよいほど意味がありません。肝心なのは理解した上で読経していくことが肝要となります。
お経を読み上げるのが上手い坊主、下手な坊主いろいろですが、何よりも大切なのは上手い下手を関係ナシに、心から祈ってくれる僧侶が何より功を奏していきます。(※神仏のはたらきかけ利益と顕現していきます。)
新しいこと、好きなことに熱中・夢中なることが新しい記憶が過去の記憶を薄れさせていきます。時に辛いことを思い出すことは誰にもありますが、幸せを掴んだらその幸せの心境を大切にするのと同じで、大切なことを見つけていきましょう。
必ず見つかります。見つける勇気(邁進)をもってください。
生者必滅という生まれる者は誰しも死が訪れ避けることはできず、無難に天災地災、事故や病気などに遭わない限り、親が先に寿命を迎えます。
仏教では生きる隣合わせには常に苦しみがあると説きます。(※一切皆苦、※四苦八苦)
死に方は選べません。しかし、生き方は大人となった今、選べるでしょう。
最期わたしたちは人生を終えるとき、「最後の最期まで苦しいこともあったけど、よく自分は辛苦を抱えながらも人間を生きてやった。自分よ、ありがとう」といえる人生にしてやりましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。絶対に薄れると言っていただき、本当に楽になりました。これからも頑張って、生きて行きます。