友達がほしい私といらない私
いつも本当にありがとうございます。
タイトルの通りなのですが最近富士山に登り、後半は大雨の中1人山頂を目指し無事登りきることができました。
周りは団体とかが多く1人で登っている人はあまりにも少なかったです。その時山頂の山小屋で食べたカップラーメンはホントに美味しかったので満足はしています。
私自身1人で何でもしてしまうタイプで、やろうと思ったら1人でも初めてしまいます、ただ周りを見るとみんなで一緒にという人が多くどうも噛み合わないことが多いです。
寂しいという感情はありますが、友達といると楽しいけど成長していない自分に焦りを感じます、このまま友達ごっこで死にたくないというのが根底にあるからな気がします。プラスで友達といるといつも目線を気にして自分が否定されている気分になってなかなか楽しめない日々を過ごしています。
そんな性格のため周りを見たら友達はいなくなりました、身軽になった、したいことができるようになったという自由と事実、その分増える孤独と寂しさ
不幸ではないけど、未だにどうしたものかと悩んでおります。
もう少し器用に生きれたらとも思いますが、今のような生き方でまた友達や親友はできるものなのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
善縁。
ひとりの楽しみを知っている人のほうが
人間として魅力的かなと思います。
そういう人同士集まると楽しそうではありませんか。
彼らは友達が欲しいのではなく
その人を欲してお互い想って集まるのですから。
変な気兼ねがいらないのがいいですよね。
アン◯ンマンという者がおりました。
彼は「愛と勇気だけが友達さ」と
言ってさみしいやつだと思われた過去が
あるとかないとか。
それなのに彼の周りには人が集まる。
それを見ていたバイ◯ンマンも
「友達が欲しい」と思っているのに
彼の周りには人が集まらない。
なぜアン◯ンマンだけが…
とついついちょっかいを出してしまうというお話は国民的アニメとして人気があります。
国民的アニメと評されるにはそれなりに
理由があるのでしょう。
ひとつには、こういった人生の皮肉に真実があるということを描いているからではないでしょうか。
人は基本的には独りですよね。
うすけんさんの、その良さを消してしまうほどに誰かとつるむことはないんじゃないでしょうか。
お互いひとりでも平気な人同士なら
つるむ気苦労もなく、集まって楽しくやれるでしょうし、いつかそんなときが来るでしょう。
気長にそんな機縁が熟すのを待ちながら、
自分の好きなことを追い求めるのが良いと思いました。
ご参考いただければ幸いです。
南無一切護法諸天善神 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます、焦らず今の自分が楽しいと思えること、自己研磨していきゆったりと今を生きていこうと思います