毎日苦しいです。
3月に母を亡くしました。母とはどこへ行くのも一緒でなんでも話せる仲でした。
最期は自宅で亡くなりました。母の世話は私なりに色々がんばったつもりですが、一人で不安でどうしたらいいか、わからなかったり、そんな時は母にきつい事を言った事もあります。
母に謝った時、母は悪いのはこうなった自分だからと言いました。私は、そんな事ない、うまく出来ない私が悪いんだと泣きました。
仲が良かったと言え、母がうっとうしい時もありました。でも今はそんな嫌なことは全部忘れてただ母との楽しかった思い出しかありません。
今になって母のありがたみを感じるのですが、うっとうしく思った時もあるのに身勝手だなと思います。
今はただ、母に謝りたいです。ごめんなさい、ちゃんとしてあげられなくて、でも大好きだよ。もう一度名前を呼んでほしい、会って話ができたらと、いつも一人でいると泣いてしまいます。
母は寂しがりやな人だったので、向こうでみんなと仲良く笑顔で楽しく過ごしていてほしいと願っています。
自殺しようとまでは思いませんが、早く母の所へ行きたいです。
何かアドバイスあればお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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亡きお母様をご供養してください
まず、深い悲しみの中におられるKK様の心情に寄り添い、心よりお悔やみ申し上げます。お母様との絆の深さと、その喪失感がどれほど大きなものか、言葉では表せないほどの痛みがあることでしょう。
あなたのお母様との思い出や、その最期に感じた様々な感情を丁寧に語られていることに、愛情と尊敬の念を感じます。お母様とのつながりが強く、互いに深い愛情を持っておられたことがお伝えいただいた言葉からよくわかります。
お世話をされる中で感じた不安や苛立ち、そして思わずきつい言葉をかけてしまったこと、そのすべてが介護の過程でよくあることです。特にお世話をしている最中は、心身ともに非常に大きな負担がかかるため、自分自身を責めてしまうことが多々あります。そういった感情を抱くこと自体が、どれほどお母様のことを真剣に思い、尽くしてこられた証でもあるのです。
お母様が「悪いのはこうなった自分だから」とおっしゃったのは、あなたの献身に対する感謝の気持ちと、あなたを思いやる優しい心からだったのかもしれません。お母様はあなたの頑張りと愛に感謝し、そしてその思いはきっと伝わっていたはずです。
悲しみや後悔、そしてお母様にもう一度会いたいと願う気持ちは自然なことです。しかし、お母様が望んでいたのは、あなたの幸せと健康だったに違いありません。お母様が寂しがりやだったとのこと、大切なあなたが母を思い続けるその気持ちは、必ず届いていると信じています。そして、お母様は向こうで平和と安らぎの中にいらっしゃることでしょう。
今は辛い時期を過ごしているかと思いますが、お母様との楽しかった思い出を大切にし、その愛を胸に、前を向いて生きていくことが供養になると思います。お母様もあなたの笑顔を見守りながら喜ばれることでしょう。
毎日の生活の中で何かお母様を感じることがあれば、それを大切にしてください。そして少しずつでも心の整理がついた時には、再びお母様との思い出を語り合い、楽しかった頃の話をしてあげてください。
どうか、ご無理をなさらず、ご自身を大切にしてください。お母様の温かい愛に包まれて、これからの一歩を支えていかれることを心よりお祈りしております。
最後に、あなたが亡きお母様のご供養をしていくことがあなたのこれからのつとめとお考え下さい。合掌
質問者からのお礼
早速のお返事ありがとうございます。まわりの人にも気遣って下さる方はいるのですが介護されてたりで、話せずにいました。思い切って相談して良かったです。
きっと私が笑えば母も笑ってくれるのだと思います。今はつらいですが、少しずつ前に進んで行きたいです。
本当にありがとうございました。