生きている価値がない
私には生きている価値がないです。
過去たくさん人に迷惑をかけてたくさん傷つけてきました。きっと過去に出会った人全員私のことが嫌いなんだと思います。当然の報いです。
今は心を入れ替え生きていますが、自分の気付かないうちにまた傷つけてしまったのではないか、自分と無理して付き合ってくれてるのではないか、そう思うばかりです。
前職で人間関係のトラブルがあり退職、県外に引越し今は一人暮らしをしています。トラブルに関しては私は一切非が無く、元職場の仲の良かった方達は皆慰めてくれ、ご飯に行ったり連絡も取り合ったりしていました。
数ヶ月経ち今は一切連絡を取り合っていません。もしかしたらトラブルの原因の人たちが何か言って私が悪者にされたのではないか、元々私は嫌われていて退職してせいせいしているのではないか、そのように感じてしまい私を好いてくれている人なんてこの世にいないのではないか、そう感じてしまいます。
親友と呼べる人はいます。ただそう思ってるのはきっと私だけなんだと思います。約10年の付き合いなのですが、あの時の一言は余計だった、とか、あの言動できっと傷ついてしまった、とか、自分の悪いところばかり思い出して、なんでこの子は私と付き合ってくれてるのだろう、きっと優しいから無理して付き合ってくれているんだと思ってしまいます。
人に迷惑ばかりかけて、たくさん傷つけて、誰からも好かれてないこんな人間がなんで生きているのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身を大切に
あなたの心の痛み、そして自己嫌悪の中で生きている難しさをお察しします。過去の出来事や他人との関係が今のあなたの心を重くしていること、とてもつらいですね。
私たちの心はしばしば過去の出来事に縛られ、自分を責め続けることがあります。しかし、過去の行動がどうであれ、今ここにいるあなたが、自分自身をより良くしようと努力しているその姿勢に価値があります。
あなたが述べたように、今生き方を変えようとしている、それ自体があなたの成長の証です。私たちは皆、過去の過ちを振り返り、反省することがありますが、それが未来を閉ざすものではありません。むしろ、過去の経験はあなたがより豊かな人間になるための教訓です。
元職場の人たちとの付き合いが途切れてしまったとしても、それが直接的にあなたを否定しているわけではないのです。人間関係は時折、時間と共に変化します。それは必ずしもあなた自身に何か問題があったからではなく、環境や状況の変化によってもたらされるものです。
また、今の親友に対する不安も理解できますが、10年もの付き合いというのは一朝一夕で築けるものではありません。その深い絆があるということは、お互いに信頼し合っている証と言えるでしょう。自分の一言一言を悔やむ気持ちもあるかもしれませんが、人は完全ではありません。そして、その不完全さを互いに受け入れ合うのも友情の一部です。
あなたが今、孤独を感じ、自分の存在価値を疑っているその瞬間にも、誰かがあなたを必要としていることを忘れないでください。一歩一歩進むことが、時に辛く感じられるかもしれませんが、その一歩一歩があなたを新しい出会い、そして新しい自分に導いてくれるでしょう。
あなたは大切な存在です。自分を責めるよりも、自分を励まし、また新しい一日に向き合っていくことが次の一歩の始まりです。あなたの心の平穏と幸せをお祈りしております。どうかご自身を大切にして下さい。
質問者からのお礼
宮本龍太さま
お返事ありがとうございます。
私は自分の現在と未来を否定せず、自分自信を大切にしていこうと思いました。
少し気が楽になりました。本当にありがとうございます。