未熟な自分が嫌いです
今年18歳になります。
小学生の頃から自分は周りに比べて“大人”だと思っていました。ちゃんと物事は論理的に考えられるし、周りより成熟していると。でも高校に入ってから、そんなことなかったんだと気が付いてしまいました。どちらかといえば子供っぽい人間です。
高校に入ってからの自分の言動がまさにそうです。怒られたから、という理由で不機嫌になったり、部活の顧問の先生が気に入らないから部活に行かない、だとか、自分の気持ちを言葉で表現するのが苦手だからって周りが察してくれるのを待っていたりする。すぐ泣いてしまうし、買い物に一人で行くのも苦手、大人と喋るとテンパって、わかっていないのに「わかりました」と言ってしまったり、「自分で調べてみた?」と聞かれて、調べていないだけなのに「調べたけど出てきませんでした」と嘘を吐いてしまったり。
嫉妬深いというか、他の子たちが何か「すごい」と褒められているのを見ても素直にそれに便乗できない。これの何がすごいのか、私だってできる、なんて考えてしまう。相手より弱い自分を認めたがらない。
こんな私が、高校を卒業して、大学に行って、それからもっと先、就職して仕事をするとなった時、ちゃんと“大人”らしくなれるのだろうか。学校の尊敬してる先生みたいに、かっこいい大人になれるのか。ふとした時にわがままで、負けず嫌いな子供っぽい部分が出てきてしまう自分を抑えて、ちゃんと人を素直に認められる人間になれるだろうか。
質問というより気持ちを書き連ねただけになってしまってすみません。
これからどういう心構えで生きていったら良いでしょう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
向かうべき方向をチェンジ!
本当にかっこいい大人とは、素直な人です。仏教では大人をダイニンと読みます。つまり悟りの人。プライドみたいな鎧脱ぎ捨て軽やかに生きる人。できない、わからない。正直に言える。決められたルールの中できちんとやろうとすることができる。ありがとう、ごめんなさい、と心から言える。子供のような無邪気な心でいられる。自分の都合中心ではなく、人のことも考えられる、そんな大人がかっこいいと思いませんか。
何でもできる人に憧れるのかもしれませんが、一生のうち必ず衰えるときがくる。見せかけの魅力より、生き様の魅力に価値をおいてみませんか。
プライドなんてない方が良い。あなたの全身どこをみてもプライドなんてないでしょ?頭の中の作り事です。妄想を握るだけ苦しみになります。思いや考えは絵に描いた餅。それを握ろうとするから人は苦しくなるのです。人は生まれながらに自由です。いのちを生きるのです。いっぱいに生きるのです。^_^
あなたの成長を祈っています
拝読させて頂きました。
あなたは今まで自分は大人だと成熟している思っていたのに高校に入ってみたら自分はとても未熟だということがわかってとても嫌な思いをなさっているのですね。詳細なあなたのことや周りの方との関係はわからないですけれども、あなたがそう思うことはとても伝わってきます。あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたがその様に自分のことを未熟者だと嫌というほど知ること、それを認めると都はとても辛いことかもしれませんけれど、それはあなたにとってとても重要なことです、あなた自身を知ることがあなたにとっては本当に大切なことです。
そんな未熟である自分を知ってそこからあなた自身を見つめていくこと、そしてそこからあなたは前に一歩ずつ踏み出して自ら大人になっていくこと、あなたが人として心から成長なさっていく一歩につながっていくのですからね。
なかなか認めることはつらいかもしれません、ごまかしたくなるかもしれません、嘘つきたくなるかもしれません。それでもそこからあなたはあなたの出来ることを気づくことから始めて少しずつ人として成長を遂げていくのですからね。
そして1年が経ち、5年が経ち、10年が経っていく中であなたはおそらくあなたらしく大人として一人の個人として立派に成長していくのです。
ですからどうか自信持ってくださいね。
あなたがこれからの未来を様々なことを経験し感動し学んでいかれ健やかにご成長なさっていかれます様に、皆さんに支えられながら心から豊かに充実した人生を自ら歩んでいくことできます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援させて頂きます。がんばってくださいね!至心合掌
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。頂いた回答、何回も読みました。
素直な人、すごくかっこいいです。優れた能力を持っていたり、それこそ何でもできて、いろんな人から認められている人とは確かに違います。シンプルで、凡庸にすら見えるときがある。それでも一番自由に生きている感じがします。
考えてもみれば、すごい能力を持った人間になりなさい! なんて今まで言われてきませんでした。お礼はちゃんと言う、だとかそういった部分が求められてきたなあと。そういう人を大人と呼ぶんですね。昔から同じことで悩んだ人がいっぱいいたのかも……?
未熟な自分を知って見つめていく。向かう方向を変える。
どうしたらそれができるかな、と考えました。
相手の能力に嫉妬してしまったとき、相手を素直に褒めるのはまだきっと難しいです。なので、負けず嫌いなりに努力する方向に向かってみようかな、と思います。
等身大の自分を受け入れる。自由に、自分のままに生きてみる。未熟なところは成長段階にある部分なんだと許容してあげる。
少しずつでも頑張ります。
二つもお返事頂けて嬉しかったです! また辛くなったら、読みに来ようと思います。
改めて、ありがとうございました。