嫌われたくない「いい人」の自分がつらい
嫌われたくない、という感性が幼少期から強く根付いており、34歳となった今でも付き纏っています。
仕事、友人、家族に対して常にいい人でいようといます。
自分が気付き手を差し伸べられることは率先して進め、助けを求められれば断ることはありません。
それによって自分自身に充足感を感じることもありますが、
「いい人」「頼りにされている」自分に疲れているように感じます。
仕事を進めて行く上で何かトラブルがあり、頼られるのは自分ですが、「それは別に今自分じゃなくてもよくない?」「なぜ自分より暇そうな上司に頼らないのか」
と、不満を感じながらも笑顔で対応してしまいます。
また、仕事の進捗にほころびを見つけるのが早く、自分がそれを根回しやフォローなど処理しようとする都度に、なぜこんなことも他の人間は気づかないのか、やらないのかと憤りを感じます。
友人との付き合い方もそうで、気の乗らない飲み会や旅行を断るのが苦手で「世話になったから」「恒例だから」と滅私し付き合ったりすることもしばしば。
家での過ごし方では、結婚2年目で妻と二人暮らしですが、共働きのため基本的な家事や買い物は自分がやっています。
妻が家事ができないわけではなく、
これは元々は妻に働かせてしまっている甲斐性のない自分のせめてもの罪滅ぼしだと自分で決めて進めていました。
しかし時折休日に1人で出かけて帰ってきたら何もせずにただベッドで一日中ゴロゴロとしている妻を見ると、自分で決めたことでも少し腹が立ち、心身ともに疲れを感じます。
自分自身振り返ると冒頭でも書いたように、「嫌われたくない」という感情があまりにも根付きすぎおり、
間違っていることを間違っている
嫌なものは嫌だ
そう言えない自分の弱さが招いた種だと感じています。
嫌われたくない自分をやめ、勇気を出して行動するか
そのままの自分で、考え方を変え、頼りにされている自分を誇りに思えるよう努力するか
どうかご助言をいただきたいです。
34歳 既婚2年目 子どもなし INFJ-T 妻・親族との関係は良好 勤務中、常に何かに追われているような不安が付きまとい、呼吸がしづらくなったため2年ほど前から心療内科にて少量の抗不安薬を処方。経過は良好。
失敗するのが怖い 常に人には「いい人」でいたい 不平不満を漏らすくらいならそれを感じなくなりたい それができないから無理をして辛い 自分のことを理解する人は今後もあらわれない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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好かれたまま周りを巻き込み、自分のやりやすいよう環境を整える
周りの反応や評価が社会の中での「あなた」なのでしょうけれど、作られた「あなた」でもあるのですね。
人に頼られる・求められる・甘えられることで、自分の存在意義を実感するものですが、そこに「生きる楽しみや喜び」だけでない疲れが起きているのでしたら、無理をしている証拠。
伝えることは、嫌われることではありません。自分にとって必要なことなら、それを我慢することは苦しみにしかなりませんからね。
「自分がする」から「周りと一緒にする」に変えていきましょう。
いろんな自分がいて良いわけですから、周りが求める自分だけを生きていくには、つまらないこともありますよ。
自分を楽しめるように、息を抜ける場所を持つようにしましょうね。何事もバランスが大事です。自分が率先して行動をすると、周りがそれに寄りかかってしまう関係性が出来てしまいますから、上手く調整をしながら、自分に負荷をかけないようにね。器用なあなたなら、そんな調整もできるのではないですか。
好かれたままに、周りを巻き込んで、自分のやりやすいように環境を整えるのも有りですよ。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分の考えを伝えるのは本当に堪えます。自分自身が大切に思う人ほど、何も伝えらません。
伝えても無意味だという諦観が想像以上に根付いているようです。
伴って伝えてきた経験が少なかったからか
勇気を出して伝えた言葉も気持ちを逆撫でしてしまったようです。
辛い思いはもう自分だけで十分です。
理解も求めません。